天岩戸神話は日食を表わしているのか(その2)

天岩戸神話に類似した話は世界中に流布している。これらの神話が天岩戸神話と無関係なわけがない。
射日
ミャオ族の「招日神話」


中国の神話には必ず太陽を射る話(射日神話)がセットになっているが天岩戸神話には射日神話はない。ということは天岩戸神話にも射日神話があったということなのだろうか?


しかしデーメーテールの神話にも射日神話がない
デーメーテール - Wikipedia


ギリシャ神話と中国の神話のどっちが本来の姿なのか俺は知らない。


日本列島に渡来した神話は元々射日神話がセットになっていたのだが、自然に、あるいは意図的に消えたという可能性はあるだろうけれど、元々なかったという可能性だって十分にある。


デーメーテールの神話は季節の起源を語ったものであって日食に関する神話ではない。もちろん、ギリシャ神話だって後付けの可能性はある。日本列島に伝わった神話がデーメーテールの神話そのものだというわけでもないだろうから、そこには季節の起源という要素がなかったかもしれない。


デーメーテールの神話も女神が放浪したのは一度きりではあるけれど、その後の取り決めで「ハーデースの元で暮らしている間は実りを齎すのをやめるようになった」ので、季節ができたという点で現在」まで繰り返される出来事の起源になっている。


中国の神話の場合は解釈は様々可能だろう。ただ、太陽を射たのは一度きりではあるけれど、それによって「天に太陽が一つしかない」ということになって、それが現在まで続いているという点で起源説話になっていると思う(なお、これが日食に関する神話かというとかなり微妙ではなかろうか)。


しかし、天岩戸神話は何かの起源を語るという要素が存在しない。神代に一度だけ起きた事件であって、それがその後の世界に直接的に何の影響を与えたというものでもない。その他いろいろあってスサノオ高天原から追放されるという話の中の出来事だ。


天岩戸神話が他の類話と異なるのはなぜかと考えるに、陰謀論大好きな学者先生はすぐに「なんらかの意図により改竄された」みたいな方向で話を進める傾向にあるけれど、そうではない可能性は十分ある。神話の骨子は要するに「神代に太陽が隠れて世の中が真っ暗になったことがあるが復活した」ということであり、それが日食だとか季節の起源だとかいうのは、元々はそうであったかもしれない(そうでないかもしれない)けれど、伝播の過程でそれが伝わっていたとは必ずしも限らないではないか。