天岩戸神話は日食を表わしているのか

これが有名な天の岩屋戸神話であり、日食とか穀物の霊の復活という神話の要素が入っていると考えられる。
『神話から歴史へ 天皇の歴史01』(大津透 講談社

天照大神が天岩戸に隠れて世の中が闇になるという話は、日食を表したものだという解釈と、冬至を過ぎて太陽が弱まった力を取り戻すということを象徴したものとする見方がある[6]。日食神話、冬至神話とも世界各地にみられる(→死と再生の神)。
天岩戸 - Wikipedia

確かに天岩戸神話は「日食」を連想させる。


ただし重要な割に一般的に見過ごされているのは「天岩戸神話は神代に起きた一度っきりのイベント」だということだ。一方、日食にしろ冬至にしろ、それは何度もあって、現在でも、そして未来でも発生する。


日食が起きた時に我々は「アマテラス様が岩戸にお籠もりになっている」などとは言わない。これは非科学的だから言わないのではなくて、現代だけでなく過去にもそういった話は聞かない。その点、七夕に織姫と彦星が出会っているというような話とは異なる。


その意味するところは何なのだと思うのだが、単に「日食とか穀物の霊の復活という神話の要素が入っている」だけでは、どう考察されているのかさっぱりわからない。しかし今まで俺はそれ以上の考察がされているものを見たためしがない。


ところで、天岩戸神話の類話は世界的に流布している。したがって、もしこれが日食についての神話だとしても、それは日本で観測された日食ではなく、その神話が発生した地域で観測された日食であろう。その場合、神話が日本に渡来した際に「これは日食についての神話です」という説明が一緒に付いてくるということがあるだろうか?


渡来した際の神話に日食との関わりがはっきりと示されていたとか、日食の際に神話を元にした儀式をするという形で伝わったとかいうのなら、これは日食に関する神話だとわかるだろうけれど、単に神話だけが渡来したとしたらわかりようがない。もちろん現代人と同じように「もしかしたらこれって日食と関係あるんじゃね?」とか考えたかもしれないけれど、あくまで推測にすぎないことになる。


だから、もしこの神話が元々は日食を神話化したものだったとしても、古代の日本列島に住む人々が日食のことだと認識していたとは限らないなんてことを考える今日この頃。