天岩戸神話は日食を表わしているのか(その3)

天岩戸神話の原型(招日神話)が日食に関係するのか、それともしないのかわからないけれど、日本列島に渡来した後に日食と結び付けられたという可能性はある。


だけど、素朴な疑問として、日食はしばらくほっておけば終るのである。そんなことは太古の人間だって経験的に知っていたはずだ。


農業生産に影響があるわけでなし、そんな大げさに騒ぐことじゃない。


もちろん日食が「不吉な出来事の前兆だ」みたいな考えが発生することは不自然じゃない。現に日食があると御所を席でつつみ隠すということがあったけれど、それはこういう考えに基づいているのだろう。


しかし、それと天岩戸神話は関係が無いように思われる。


天岩戸神話はアマテラスが岩屋に籠もったことにより、高天原葦原中国が真っ暗になってしまって、高天原の神々が大騒ぎしたという話であって、日食のケガレとの共通点など無いに等しい。


それに、これが日食ならば、神々が大騒ぎしている間に日食など終ってしまう。「神話だからそれもあり」みたいな解釈は不可能じゃないだろうけれど、俺は無理があると思う。


やはりこれは、太陽が隠れてしまって世の中が相当長期間真っ暗になってしまったという、現実には起きていない神話的な事象であって、その神話の描写の元になるものとして日食なり、冬なり、火山灰による日光の遮断なりがあったとしても、それを現実の自然現象の神話化だというのは、違うのではないかと俺は思う(たとえばエイリアンのイメージが爬虫類や深海魚からきているとしても、あくまでモデルにしたということであって、それでエイリアンとは爬虫類や深海魚のことだとは言わないでしょう)。