早川由紀夫騒動(その3)

上で「国が禁止していないから」で責任が無いといえるかといえば、必ずしもそうではないだろうと書いた。


たとえば国が「サリンは無毒でそれを散布しても罪に問わない」と決定したとする。それで「国が禁止していないから」と散布したとしたら責任が無いかといえばそんなことがあるわけがない。第一に糾弾されるべきは当然国だが、散布した人間も糾弾されるべきだ。なぜならサリンが有毒なのは科学的に明らかだからだ。


国が福島県の一部を除いて米の作付けを禁止していないのが科学的に明らかな誤りであるならば、農家もまた批判されても仕方が無い。しかし、それを訴えている早川由紀夫氏の根拠が科学的に正しいという評価は一般的ではない。むしろ間違っているというのが大方の科学者の見解だろう。


無論、早川氏およびその支持者は早川氏の主張が正しいと信じているのだろうけれど、それが大方に認められていないという事実を認識すべきだ。


たとえば、自称超能力者がいて「この島は沈没する」と訴えたとする。しかし耳を貸す者はおらず避難指示は出されず、自主的に避難する者もいなかったところ、実際に島が沈没してしまったとする。超能力者は自分の忠告を聞かなかったのが悪いのだと当局を批判し、被害者を自業自得だと罵るかもしれない。しかし、超能力の実在など世間一般の認めるところではなく、「偶然だ」として、批判されるのは超能力者の方だろう。


ところで仮に、後になって超能力が実在することが科学的に確かめられて、超能力者の予言が正しかったということが認められたとして、では、当局の判断は間違っていたとか被害者は自業自得だと批判することが適正かといえば、この場合であっても、当時は超能力の実在が疑われていたのだから適正でない批判ということになるだろう。


そういうわけで、早川氏の主張が正しかろうが間違っていようが、農家をサリンを作ったオウム信者と同一視するのは適正を欠いた発言なのである。


この手の、自分達の主張が正しいと確信し従わない者を罵倒するという行為は、現在進行形であちこちで行われているものでもあるが、こういうものを見てもなお、この場合は彼らが間違っているのだから批判されて当然だが、自分達の場合は正しいのだから従わない奴を罵倒しても構わないのだと他人事のように考える人は多いと思われる。


とはいえ俺もそれをやっていないと言い切る自信はない。


そもそもどこからが罵倒でどこからが罵倒でないという明確な線引きはない。こちらがそう考えていなくても相手はそう感じるかもしれない。社会の空気がそれを判断することになるだろう。政治家をヒトラーと同一視するということが日本では頻繁になされているが国によっては大問題となるかもしれない。ヒトラー呼ばわりするのは、正当な理由があってそうしているのであり、それとこれとを一緒にするなと言うかもしれないが、その線引きは自分で決めたものであって、絶対的なものではなかろう。