「全然」と「最近」

なぜ広まった? 「『全然いい』は誤用」という迷信  :日本経済新聞

 「全然いい」といった言い方を誤りだとする人は少なくないでしょう。一般に「全然は本来否定を伴うべき副詞である」という言語規範意識がありますが、研究者の間ではこれが国語史上の“迷信”であることは広く知られている事実です。

「明治から昭和戦前にかけて、「全然」は否定にも肯定にも用いられてきた」という。


これもまた最近流行の「創られた伝統」ということだろう。


しかし不思議ではないか?


本来とは違う使い方が民間で流行して、それが長年続いていくうちに本来の使用法の方が間違っていると誤解されてしまうというのなら理解できる。ところがこれは戦前まで普通に使われていたものが昭和20年代になって突然「最近“全然”が正しく使われていない」とされてしまったというのだから。


昭和20年代には「全然」の本来の使い方を知るものが僅かしかいなかったなんてことはありえない。明治・大正を生きた人がいっぱいいた。何でその人達から反論がなかったのだろうか?



これは俺の勝手な推測だが、

「最近“全然”が正しく使われていない」

「最近」が曲者なのではないかと思う。


「最近」というのは幅の広い言葉だ。


「最近の若者は」云々という年長者の苦言は古代エジプトの粘土板にもあるなどと言われ、言っている当人も若いときにはそう言われたなんてツッコミをよく目にする。しかし、それだけではなくて、確かにそれは世代間で差があることなんだけれど、その差を若者とそれ以外で区切るのはおかしいと思われるようなものもある。つまり「若者」という言葉から連想される10代20代だけでなく30代40代、下手したら50代まで含まれている場合もあるということだ。高齢化著しい日本では「最近の若者」という言葉が使われている場合、その「最近の若者」が何を指すのかまで考えないと間違った理解をしかねない。未来の歴史家は大変だ。


あと俺の趣味の歴史でいえば「最近の研究では」みたいな言い方をよく目にするけれど、図書館で30〜40年前の本を見たらその「最近の研究」が既に載っていたということはザラにあったりする。



そう考えると、昭和20年代後半の記事にある

「最近“全然”が正しく使われていない」

の「最近」が何を指しているのかが問題になる。「最近数年」のことだとすると「昔から使っていた」という反論が出てきてもおかしくないように思うが、明治・大正を含めて「最近」なのだと解釈することも全然不可能ではないのではなかろうか?


そういう使われ方は前からあったと思っても、一方では偉い学者さんがそう言っているのだからという思いもあるから、ここでいう「最近」とは自分の考える「最近」とは違うのだろうと解釈して反論しなかったみたいなことはあるかもしれない。なんて思ったりもする。



※ なお「全然」という言葉は漢語であり、漢文での否定の言葉を伴わない用法は間違いなんだそうだ。
「全然(ぜんぜん)」と言う語の用法についての一考察。 - 中国人は私の家族。 - Yahoo!ブログ


すなわち日本語としての「全然」の本来の使用法では否定を伴わなくてもいいけれど、漢語では間違いなので、漢語を基準にすればそもそも日本語の「全然」の使い方が間違っているということになる。


そういう意味での間違いの指摘は英語なんかでも「イギリスではそのような使い方はしないから間違いだ」みたいに日本で定着している使い方を批判する人は結構いますよね。


(追記)
『全然〜ない』をいぢめる
鈴木英夫(1993) 新漢語の受け入れについて -「全然」を例として- 『国語研究』428-449明治書院」という論文によると、「全然」は

江戸時代半ば(寛政年間)に白話小説のなかの近世中国語として日本に入ってきた。

という。それは「否定にも肯定にも対応している」そうだ。ということは「漢語」でも間違いではないということなのか?気になるのは「近世中国語」とあることで、一方では『「荘子」の例』というのもある。


これって、漢語でも本来の使い方と近世の使い方が違っていて、古文を基準にすれば誤用だが、近世を基準にすれば誤用じゃないってことなんだろか?