応神天皇と気比大神(その5)

応神天皇と気比大神(その4)のつづき


「気比」と「吉備」には何か関係があるのではないか?


吉備といえば桃太郎だ。ただし前にも書いたように「温羅伝説」と桃太郎はそれほど似ていない。


実のところ、桃太郎と温羅伝説を結び付けたのは難波金之助という在野の研究者で1930年に『桃太郎の史実』という本で主張されたものである。これが注目されたのがきっかけで、その後1962年岡山国体のときに岡山県のイメージとして桃太郎を担ぎ出したことによって現在の「桃太郎=岡山」という説が広まったのだ。
【吉備野庵】 : 【6176】 桃太郎が岡山に生まれたのは昭和5年?


比較的最近のことであって、これもいわゆる「創られた伝統」の仲間といえよう。


岡山県人の機嫌を損ねる恐れもあるので、迂闊に言うのは控えた方がいいかもしれないけれど、歴史・神話として考える場合にはそうも言っていられない。はっきりいってほとんどこじつけである。桃太郎伝説と温羅伝説は遠い親戚とはいえるかもしれないけれど、それほど近い関係にあるとはいえない。


とはいえ「温羅伝説」が重要な伝説であることには変わりは無い


で、「桃太郎のふるさと」は香川県高松市、愛知県犬山市など全国各地にあるけれど、気比神宮もその一つだ。


ただ、ネットで調べてもその詳細がよくわからない。


ふるさとの玩具
gm-P1040151-momotaro/桃太郎・気比神宮 
禁断の平日ポタ・・・敦賀界隈探訪記
★牡牛と竜 三柱目★「天津神と国津神の系譜
のわずか4つのページだけに「気比津彦命」という名前が出てくる。


それを総合すると、気比神宮社の祭神「伊奢沙別(イザサワケ)命」が「気比津彦命」であり、温羅伝説の吉備津彦命と同一だということになる。


非常に興味深いが、あまりにも情報が少なすぎる。これもまた岡山と同様で近代以降に唱えられたものかもしれない。


そのことを念頭に入れなければならないけれど、それでもこれは十分検討に値する話だと思う。


(つづく)