王家(4)

 この権門体制論を構築する際に黒田氏は「王家」という言葉を使うほうがいいと提唱しました。なぜか。黒田氏は天皇家や皇室といった用語が、近代国家権力によって使われた用語であり、それはどうしてもある種の先入観、イデオロギーなど思考上の制約を与えてしまうと指摘。そうした既存のイメージを脱構築するために、中世の当時、実際に頻繁に使用例が見られる「王家」という用語を使うことを提唱したのです(「中世天皇制の基本的性格」,1977)。

大河ドラマ「平清盛」における「王家」をめぐって - ITmedia ニュース


その黒田俊雄氏の「権門体制論」を批判したのが「東国国家論」の佐藤進一氏。


俺は良く知らないけれど過去にはこんなことがあったそうだ。

扇動されやすい人がサヨクに走った理由は、当時言論界では「左翼」が幅を利かせていたからであり、大学に入って世話になるオリターに左翼が多かったからである。その頃はマルクス主義を標榜しないと「右翼」または「ブル」呼ばわり。いろいろなレッテルがあった。私は丸山真男に凝っていたのだが「近代主義者」、佐藤進一に凝ると「実証主義者」。これらはいずれも当時は「ウヨ」という意味である。ちなみに日共が日共とは異なる左翼に貼るレッテルは「ニセ左翼」「極左暴力集団」「トロツキスト」などなど。

塾講師のつぶやき - 扇動されやすい人2


なお、俺は左翼ではないが「権門体制論」の方が分があるように思ってる。どっちを支持すると左翼的または右翼的なんて要素があるんだろうか?よくわからないけど。


ところで、先日こんな記事を見た。
元年という史料表記は偏っている。: 保立道久の研究雑記

佐藤進一先生が『花園天皇宸記』や『御記』という呼称を拒否されるという有名な話と同じ考え方というのはおおけないが、元年というのは単なる数詞ではなく、元号の変更にともなう祝儀を表現するイデオロギーが入っている。

「有名な話」なんだそうだが歴史に興味無い人は知らないだろうし俺も知らない。それはともかく左翼からみたら敵の佐藤進一先生も、右翼が聞いたら怒り出しそうなことをしていらっしゃる。右翼じゃなくたって、いちいちそんなことにまでこだわるなんて面倒臭いなって思う人は多いんじゃないかと思う。



なお保立道久氏が「元号の変更にともなう祝儀を表現するイデオロギーが入っている」なんてことにまでこだわっているのには、一体どこまでやる気なのかってウンザリしてくる。


こういうのが歴史離れを後押ししているんじゃないの?


大体イデオロギーからの解放のためとか理由付けしてるけど、別のイデオロギーが透けてみえる。マルクス主義じゃないかもしれないけれど「科学的なんちゃら」とかいうものを絶対視する意識が濃厚にあるからではなかろうか。