平泉と平安京

平泉の「平」が平安京の「平」と関係あるのではないかとは前々から思っていたが、学者もその関連を指摘しているそうだ。
平泉と鎌倉2 - heuristic ways

 高橋氏によれば、清衡以前にはもともと「平泉」という地名はなかった。そして氏は、「平泉」はまず漢音「へいせん」で呼ばれ、それが訓読されたときも、はじめは「たいらのいずみ」「たいらいずみ」であり、「ひらいずみ」はその二次的段階だったと考証するのである。

 「平泉(へいせん)」は、都「平安京」の「平安」にかたどる「清衡都府(とふ)」の理念表徴である。「平安京」は「たいらのみやこ」と訓(よ)まれた。その「たいら」にあやかっての「たいらいずみ」である。延暦一三年(七九四)の平安遷都は、大伴弟麻呂(おとまろ)=坂上田村麻呂ら征夷使による空前の征夷戦大勝に祝福されて、前途を寿(ことほ)いだ。「蝦夷平定」の「平夷(へいい)」を、「万代平安」の意味の「平夷」に読み替え、読みあわせての「平安」だったのである。「夷」は「平らか」「安らか」の義でもある。「平夷」としての「平安」。「平泉」にも同じように「平戦(へいせん)」としての「平泉(へいせん)」。「長い戦いを平夷におさめとる平安の泉」。そういう願いがこめられていた。

ただし、俺の考えには「平」→「たいら」→「てえら」→「寺」という繋がりがあるんじゃないかというトンデモが入っている。
「寺(てら)」の語源 - 国家鮟鱇


「寺」には「役所」「官庁」という意味があり、平泉はまさにそれにふさわしい。なお「鴻臚寺」のように外交使節を接待する役所の意味で使われることもあるが、これも「平泉」と通じているような感じもする。


もちろん「蝦夷平定」の意も含まれているようにも思われるけれど、トンデモながらこっちも気になるのである。


※なお、「寺泉」で検索すると、山形県長井市に「寺泉」という地名があり、そこの五所神社安倍貞任の娘の伝説がある。
五所神社 (長井市) - Wikipedia
「五所」は「御所」に通じるよなあとか妄想は膨らんでいくのであった。