クブラバリ・トングダ伝説

クブラバリ・トングダ伝説の背景を考える - 私的な考古学 - Yahoo!ブログ


初めて聞いた伝説だけれど大変興味深い。


俺の印象でもこの伝説は史実ではないように思われる。しかしながら、それが『より新しく創造された「伝説」』なのかの判断は慎重にすべきだろうと思う。


以下はに書くことは、この伝説に特別な思いを抱いている人は気分を害することかもしれないけれど、あくまで俺の思いつきなので許してください。


この伝説の悪役は与那国の支配者である琉球ということになっているらしい。しかし、おそらくは本来の伝説では琉球は関係ない。あくまで与那国内部で起きた過去の悲劇という伝説であったのではないだろうか?


検索してみると、
石垣島 検島誌.com--伝説と民話--クブラバリ--
という記事がヒットしたが、ここでの悲劇の原因は、島を繁栄させようと人口を増やしたことにあることになっている。


ここで、この伝説を考える際に重要なのは、この伝説を聞いた人がどのように受け取るかということではないかと思われる。


当初は、島で起きた過去の悲劇の話を聞いて、今はそうではないことのありがたさを感じたのではないだろうか?日本神話でかつては墳墓に殉死者を埋めていたのを埴輪で代替したという話があるように、今は昔より良い時代だと受け取ったのではないだろうか?


しかし、別の受け止め方も可能だ。


それは、自分達の祖先が行った蛮行を恥じるという感情だ。そのような感情が芽生えると、それを外部に隠そうとするだろう。現実に自分達に野蛮・未開という評価がなされていた場合は尚更だ。笹森儀助がこの伝説を知らなかったのはそういう理由があるのかもしれない。


さらに近代以降の顕著な風潮であるところの神話・伝説の合理的解釈が加わる。そして漠然とした過去の話ではなく現実の歴史に組み込もうとする力が働く。現実の歴史との食い違いは「実はこうだったのだ」という新たな解釈を生む。


現実の歴史では与那国は琉球支配下にあった。そして人頭税の苦しさからやむを得ずしたことであって悪いのは琉球だという解釈が生じる。これは先祖の野蛮な行為を恥じるという感情を解消させるという点でも受け入れやすい。


そのように伝説が変化したのではないか?


繰り返すが、あくまで俺の思いつきにすぎない。