「女帝中継ぎ論」

「女帝中継ぎ論」の系譜(メモ) - Living, Loving, Thinking


義江明子「「女帝中継ぎ論」とは何か――研究史史学史の間」『図書』755、2012、pp.6-9という論文に

折口は、「ナカツスメラミコト」とは、神と天皇の間を媒介する「みこともち」(巫)のことだとした。本来の天皇(男)が欠位の際に、「みこともち」たる皇后が即位したのが女帝とみるのである。(略)

この場合でも、「誰かゞ実際の政務を執れば、国は整うて行つた」(折口)とあるように、「中継ぎ論」と同じく、”女性は本来の統治者ではない”とする通念が前提にあることを見落としてはなるまい。だからこそ、巫女性が女性の特殊能力としてクローズアップされるのである。(ibid.)

と書いてあるそうだ。折口信夫の「女帝考」が手元に無いので確かなことは言えないけれど、果たして折口は本当にそんなことを主張したのだろうか?


三浦佑之氏の
推古天皇(三浦佑之)
に「女帝考」の引用がある。

 中天皇が神意を承け、其告げによつて、人間なるすめらみことが、其を実現するのが、宮廷政治の原則だつた。さうして、其両様並行して完備するのが、正常な姿であつたのが、時としては、さうした形が行はれずに、片方のなかつすめらみこと制だけが行はれることがあつた。さうして、其が表面に出て来ることが、稀にはあつた。此がわが国元来の女帝の御姿であつた。(*1)

俺の理解するところでは、「皇后が天皇に即位した」のではなくて、皇后(ナカツスメラミコト)だけしか存在しない状態のナカツスメラミコトを、後に「記紀」が「天皇」と記す場合があった(天皇とみなされない場合もあった)ということを折口は主張しているのではないかと思えて仕方がない。ここで義江氏が「即位した」という言葉を使っているのは、「記紀」に使われる「天皇」という語を単純に「大王」に読み替えて理解しているからではなかろうか?


そういうことではなくてナカツスメラミコトは男王の生前も死後もずっとナカツスメラミコトのままであり、男王を欠いているので自動的に表面に出てきたということではなかろうか?


天皇」という語は天武朝以降に使用されたのだというのは常識化しつつある。けれども、それ以前の「天皇」が「大王」を言い換えただけのものなのか、それとも後世から見た評価によって「天皇」とされてはいるものの同時代の感覚とは異なったものなのかという問題は現在の歴史学ではあまり考察されていないように思われる。


ただし、この三浦氏の論文で引用されている中村生雄氏の論文でも「即位」という言葉が使われているから俺の早とちりかもしれないけど。


「大王」≒「天皇」なのか