民間事故調とマスコミ(その4)

下村健一氏のツイッターでの発言および山口浩氏の記事によってネット界の一部では例によってマスコミ批判が湧き上がっている。俺は山口浩氏のマスコミ批判はピントの外れたものだと思うが、マスコミに重大な問題があったことは間違いなく、それについて書いてきた。


しかし、そもそも下村健一氏の言うとおりなら、東京電力福島第一原発事故に関する独立検証委員会(民間事故調)の報告書自体に問題があったことになるだろう。(原文が入手できないので言い切ることができずマスコミが歪曲した可能性もなくはないが)状況的にそう考えて間違いないと思われる。


だが、
はてなブックマーク - 【原発】H-Yamaguchi.net: 「ぞっとした」にぞっとした話
を見るとマスコミ批判だけをしているコメントが多い(そうでないものもある)。もちろんマスコミ批判のコメントだけを書いているからといって報告書を問題視していないとは限らないが、そういう流れが一部に出来つつあるようには感じる。


これが例えば喫茶店で普通のおっさんの会話を記者が耳にしてを勝手に記事にしたとかいうのであれば、おっさんが言ったことが間違っていたとしても悪いのは記者であっておっさんではない。しかし、民間事故調の報告書が間違っているのだとしたら民間事故調は当然のことながら批判されねばならない。



次に問題になるのが、「菅前首相ら政府首脳による現場への介入が、無用の混乱と危険の拡大を招いた可能性があるとする報告書」(読売)は、「首相がそんな細かいことを聞くのは、国としてどうなのかとゾッとした」発言が真意と違うものだとしても、その発言だけを根拠にしているのではないということだ。


すなわち、この発言を削除しても「菅前首相ら政府首脳による現場への介入が、無用の混乱と危険の拡大を招いた可能性がある」という報告書の内容自体には大きな変化はないということだ。報告書が正しいかは別問題だが。


民間事故調の報告書の価値はこの発言だけでは決まらない。ゆえにこの発言の真意が違うということだけで菅直人が潔白だったということにはならない。だからといって逆に対応がまずかったということに変わりはないと言い切ることもできない。ただし報告書の信頼性が揺らいだということはできる。


したがって、この一連の騒動で最も重要なことは「さらなる調査が必要だ」ということだ。