話がここで当初に戻るのだが、一例ではあるが、私たち日本市民は日本の侵略戦争にどう向き合うかという問題だと、これは、よって、市民規則の水準の問題になる。では、あなたは、例えば、あくまで例えばということだが、日本の侵略戦争について良心的な呵責感を持つべきか?
昔こんなことを書いた。
⇒当時生まれていなかった人の戦争責任問題
広義に言えば、私的幻想領域が確保されないなら、正義や義、倫理というものは、個人の内面を拘束するファシズムにやすやすと転換する。
昔こんなことを書いた。
⇒集団主義と個人主義 - 国家鮟鱇
「空気読め」の社会は「同じことを言わなければならない社会」、一方「個人主義」の行き着く先は「同じ考えを持たなければならない社会」。