『日本古代王朝と内乱』(学生社)の「推古女帝を嗣ぐもの」(門脇禎二)に、
つまり、そのつぎに、「並び坐してこの天下を治め賜へ諧へ賜ひ」という表現がありますが、これは、だれかとだれかが一緒に並んで世の中を治め、世の中を整えたということでしょう。
この時代も含めて、もう少し前からいいますと、推古女帝は聖徳太子と並んで政治をとったということはよくいわれています。そのほか、斉明(皇極)女帝は中大兄皇子と一緒に政治をしていますし、持統女帝と孫の文武天皇、元正天皇と聖武天皇というふうに、天皇からみれば年上の女帝(あるいは前女帝)が、若い男帝をバックアップする意味でともに治めているわけです。
共治の伝統があって、原則的に嫡々相承主義に変わっていくときのいわば補完措置として、「並び坐して」政治をしていけというものが「不改常典」であったと私は思っているわけです。
と書いてあった。とても興味深い。
俺はこの主張を今まで全く知らなかった。それは俺が無知だからなんだろう。
しかし、ウィキペディアの「不改常典」を見ても門脇説は載っていない。
⇒不改常典 - Wikipedia
「門脇禎二 不改常典」で検索しても、それっぽいものはヒットしない。
⇒門脇禎二 不改常典 - Google 検索
門脇氏は超有名な学者であるにもかかわらず何故スルーされているのだろうか?とても重要なことを述べていると思うのだが…