蕨の粉 (その7)

ここまでの要約

  • 蕨の粉は貴重なものではない→貴重なものである
  • 寡婦は村落の非構成員→根拠不明
  • 小さな子どもを抱えてひもじさに堪えかねた→寡婦の子どもだとは書いてない
  • 17〜18才の「若者」も殺されている
  • 「撲殺」とは書いてない
  • 右馬の事件は「露見」したのではない
  • 右馬の事件は村人によって解決されたものではなく九条政基が判定を下したものである


本郷氏は

容疑者の逮捕と拘束、量刑の勘案と確定、それに執行。すべては百姓たち自身が行っており、とくに警察権に相当する行為の先頭に立ったのは、体力に優れた若い者であった。

と書くけれど、正円右馬事件は村人によって処刑が執行されようとしていたところ、弟の抗議によって延期され、最終的に九条政基が右馬を有罪と判断したことによって処刑が実行されたのである。なお斬首を行ったのは地下であるから、地下の処刑が撲殺だとは限らないということになるだろう。


本郷氏の文からは、このようなことがあったことなど全く知りようがないのである。ただし、一度は九条政基の介入なしに刑が執行されようとしていたのであるから、これは例外であって基本的には本郷氏の言うとおりということも可能のようにも思われる。それで良いのだろうか?


一方、先日頂いたDNF氏のコメントでは、

裁判の有無については、本来領主である九条政基の手によって裁判にかけるべきところ、村の民から「殺しておいたので」と報告され、「自分の知らないところでえらいことになってるな、殺すほどのことじゃないかもしれないけど盗人だからね、まあ仕方ないね」というような感想が記されていたんじゃないかと覚えがあるので、私刑のように殺されたのもおそらく間違ってはいないかと(繰り返しますが曖昧な記憶で自信はさほどありません)。

と「曖昧な記憶」という断りがあるけれど、「本来領主である九条政基の手によって裁判にかけるべきところ」とあり、話が正反対になっている。


九条政基の検断権について水藤真東京女子大学教授は『戦国の村の日々』(東京堂出版 1999)において

 どうやら、この段階では、領主政基が処断を下す検断と村の自検断に任されるものとの二つがあったものと考えられる。

と述べている。おそらくこれが正解だろう。本郷氏の本より前にこのような先行研究があるのだ。


この事件のあった年の正月に村の職事(番頭の下位)の刀が盗まれるという事件が発生し、この時は容疑者が見つからない時点で速やかに政基に報告され指示を仰いでいる。同じ盗難事件でありながら刀と蕨や米俵ではなぜ扱いが異なっているのか理由は不明だが、全てが「百姓たち自身が行っており」というわけではないことは確かだろう。また右馬の事件では村人だけでは解決しかねたので政基の判断を仰ぐことになったのである。