蕨の粉 (その8)

ここまでの要約

  • 蕨の粉は貴重なものではない→貴重なものである
  • 寡婦は村落の非構成員→根拠不明
  • 小さな子どもを抱えてひもじさに堪えかねた→寡婦の子どもだとは書いてない
  • 17〜18才の「若者」も殺されている
  • 「撲殺」とは書いてない
  • 右馬の事件は「露見」したのではない
  • 右馬の事件は村人によって解決されたものではなく九条政基が判定を下したものである
  • すべては百姓たち自身が行っており→領主の検断と村の自検断の二つがあったと考えられる


本郷氏は

 一五〇四(永正元)年三月、本百姓の正円右馬という者が米俵をだまし取った嫌疑を掛けられた。右馬の弟は高野山の下級僧侶で、さまざまに奔走したが、結局、右馬は証拠不十分のまま、斬首に処せられてしまう。容疑者の逮捕と拘束、量刑の勘案と確定、それに執行。すべては百姓たち自身が行っており、とくに警察権に相当する行為の先頭に立ったのは、体力に優れた若い者であった。

と書いたあとでこう続ける。

 右馬の場合は正式な村落構成員であったから簡略ではあっても裁判のまねごとのような儀式を経て刑が定められた。ところが相手が非構成員であると、若者の暴力がより直截に振るわれている。

そもそも右馬の事件は村人によって処刑が決まって実行されようとしていたところ、弟の抗議によって延期になり最終的に九条政基の決定により処刑されたということは既に書いた。従ってこの部分全く事実と異なるのだが、それでもまだ指摘しなければならないことがある。


まず「裁判のまねごとのような儀式」とは何を指すのかということだ。


村人が右馬の処刑を決定したことを指すのであれば、史料にあるのは、村人が右馬と亀源七の件のいきさつを聞いて盗人だと決めつけ、他にも「条々の所行」があるというので処刑に決まったということしか書いてない。これが「裁判のまねごとのような儀式」なのだろうか?


寡婦」の場合は、蕨の粉を盗んだのを見つけて家まで追跡してそこで殺したという話だから、少なくとも史料上は確かに「裁判のまねごとのような儀式」すら無かったように見える。しかしながらこっちは現行犯であり犯行は明らかだ。一方、右馬の場合は勘違いで亀源七の米俵に自分の札を貼った可能性もある。従って故意か過失かを判断しなければならない。両者の違いはその程度のものであって「右馬の場合は正式な村落構成員であったから」という説明が正しいとは必ずしも言えない(既に指摘したようにそもそも寡婦が村落構成員ではないという根拠もわからない)。


一方「裁判のまねごとのような儀式」というのが、右馬の弟の抗議によって処刑が延期され、九条政基の指示を仰ぐことになったことを指すのであれば、「寡婦」の場合に誰かの抗議があったかは史料に無いので知りようがないが、確かに右馬のケースは特別扱いされているということは可能だろう。


しかし、なぜ右馬の事件が特別扱いされたのかというのが問題になる。