蕨の粉 (その13)

そろそろ飽きてきた。でもこの『政基公旅引付』はすごく面白い。今まで知らなかったんだけれど嵌ってしまいそう。そういう意味では本郷氏に感謝。


蕨の粉の件では文亀四年(1504)二月十六日条の方も興味深い。
まあ俺が無知だから興味深いのであって、知ってる人にとってはそうでもないのかもしれないけど。

十六日戊申 雨降、大木村之番頭若崎右近並船淵番頭両人参。自地下申云、去年不熟之故御百姓等繁多餓死了。仍蕨ヲ掘テ令存命之処、件蕨於河流ニ認物也。其粉ハ水ニテ取テ一夜置テ居サセテ取◻(之カ)也。其ヲ連夜盗取之条、適欲継命、食物ヲ失之故、地下人已失懸命術了。仍番ヲ居テ窺見之処、去夜有盗取者。追懸之処、松下ニ瀧宮之第一之御子有宅、其内へ入了。則入内見之処件御子同息子兄弟也。仍母も子も三人共以殺害了。盗人之故也云々。連々彼者盗人之由風聞、則ち此儀出現了。地下沙汰之次第、證人一人モ不生置、母マテ殺害ハ甚乱吹歟。但悪行之儀ハ連々風聞之条、地下之沙汰人已如此沙汰之由注進之上者、無人之時分不及是非、於為盗人者是又自業之所致也。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

まず巫女(御子)に子供がいるということが意外だった。

柳田国男『巫女考』によれば、巫(かんなぎ)系巫女、口寄せ系巫女を問わず多くの巫女が結婚した後も巫職を継続したものの、

巫女 - Wikipedia
とあるからそう珍しいことでもないんだろう。知らなかった。ただ、この巫女に夫がいるように書いてないので、それは未亡人だからなのか、それとも特別の意味があるのだろうかなんて思ってしまう。


それから、巫女の家が神社の境内にあるのだとしたら、そこは「聖域」なんじゃなかろうかと思ったりする。ところが村人は巫女の家に押し入って殺害している。「聖域」といえば犯罪者が逃げ込むと手出しできないとか、時代劇だと町奉行の管轄外なので寺社奉行と揉めるとか、そんなイメージがある。巫女と兄弟を処刑するにしても、それなりの手段を取らなければならないのではないかと思ったりするけれど、そうでもないのかもしれないしわからない。


あと、巫女であるから豊作祈願とか雨乞いとかに重要な役割を果す人物であると考えられる。しかも「瀧宮之第一之御子」とある。日根野荘はこのとき飢饉に襲われていた。飢饉の責任が巫女にあるとする考え方が存在するのかどうか民俗学的なことがわからないけれど、ありえそうな話だとは思う。もしかしたらこの事件の背後には表に出ていない事情があるのではないかなんて思ってしまう。


※ なお前年の不作の原因は年始に社僧が殺されたからだと考えられていた模様。


『政基公旅引付』に書いてある村人からの報告は政基が耳にしたことであって、それが事実だとは限らない。村人には政基に隠したいことがいくらでもあったに違いないし、時には事実と全く異なることを報告するということもあっただろう。


あと「瀧宮」とは現在「火走神社」と呼ばれる神社のこと。
火走神社 大阪府泉佐野市神奈備

永正二年(後柏原天皇西1505)九月十四日御造営の記録あり。

とある。この事件の翌年のことであり飢饉と関係あるのかもしれないなんて思ったりする。ちなみに九条政基は永正元年十二月に帰洛している。


と、いろいろと興味深いけれど、本郷氏とはほとんど関係ないので終了。