蕨の粉 (その12)

二十六日戊子 晴、去夜又蕨之粉盗人有之。見付而追入家内殺害了。寡婦両人也。其外十七・八ナル男子、其外年少之子共、夜前モ六・七人殺之云々。不便不便。盗人之上者不及是非者也。

ここに「寡婦」とあるんだけれど、『新修泉佐野市史』の読み下し文では、

二十六日戊子晴。去る夜、また蕨の粉盗人これあり。見付けて家内に追ひ入れ殺害し了んぬ。寡女両人なり。

とあり「寡婦」が「寡女」になっている。凡例に和泉書院翻刻を使用し影印篇を参照したとあるから、影印篇を元に訂正したということだろうか。


「頭注」に

寡女 一人暮らしの女。独り身の女。

とある。「寡婦」は未亡人のことだと思われが、「寡女」だともっと広い意味になるのではなかろうか?また「一人暮らしの女」と「独り身の女」では随分意味が違ってくる。独身女性だからといって一人暮らしとは限らないわけで、特に未婚女性の場合は一般には実家にいると思われ、一人暮らしの未婚女性というのは相当珍しいのではないかと思う。「寡女」がどういう女性かでかなりイメージが異なってくる。でも無知だからよくわからない。


ところが「補注」には「寡婦二人を見付け」と書いてあり、寡婦と寡女の違いをあまり気にしていないように思われる。


なお「補注」の26日の事件の要約では

翌月の三月二六日には、見張り番が寡婦二人を見付け、家内に追い込んで殺害した。その他、同日には一七-八才の男子や年少の子供が殺され、またその前夜も六・七人が殺害されたという。

としている。本郷氏は寡婦と子供は親子だとしているが、こちらでは他人になっている。俺もそれを支持する。


しかしながら、ここでまた新たな問題が。「またその前夜も六・七人が殺害されたという」というのは、寡婦や年少の子供が殺された前夜にも6・7人が殺されたということだろう。すなわち26日に寡婦2人、青年1人、子供1人の計4人が殺され、その前夜にも6・7人が殺されたということになり、計10〜11人が殺されたことになる。


「去夜」と「夜前」と使い分けているから別の日と解釈したということだろうか?


でも「去夜」も「夜前」もどっちも昨夜という意味だと思われ。この補注を書いたのは吉井敏幸という人で現在天理大学教授だが、これにはどうも納得がいかない。