蕨の粉 (その6)

ここまでの要約

  • 蕨の粉は貴重なものではない→貴重なものである
  • 寡婦は村落の非構成員→根拠不明
  • 小さな子どもを抱えてひもじさに堪えかねた→寡婦の子どもだとは書いてない
  • 17〜18才の「若者」も殺されている
  • 「撲殺」とは書いてない
  • 右馬の事件は「露見」したのではない


もう何から何までおかしい。だがまだ続く。


次は、

 一五〇四(永正元)年三月、本百姓の正円右馬という者が米俵をだまし取った嫌疑を掛けられた。右馬の弟は高野山の下級僧侶で、さまざまに奔走したが、結局、右馬は証拠不十分のまま、斬首に処せられてしまう。

について。「米俵をだまし取った嫌疑」では事件の仔細がわからない。


これは亀源七という百姓が米俵を寺に預けていたところ、正円右馬が米俵に右馬のものだという札を付けさせて自分の物としようとした。亀源七が抗議して俵の中に切紙が入っていると主張した。調べてみると確かに切紙があったので亀源七のものであることが明らかになった。右馬は「覚え違い」だとして亀源七に米俵を渡したという事件だ。


これについて、右馬は盗人であり、これ以外にも「条々の所行」があるので処刑が実行されようとしていたところ、右馬の弟の荒野聖の抗議によって「延引」になったというのが九条政基へ奉行代?の竹原定雄が伝えた情報であった。


なお、右馬の弟が「さまざまに奔走した」とあるが、俺が見る限りでは抗議した事は確認できるが、どんな奔走をしたのか全く不明である。


※ 弟がどんな抗議をしたのかが俺の読解力ではよくわからないのだが、おそらく被害者であるはずの亀源七が右馬を訴えたのではなく、この話を聞いた村人が処刑を決定したのであり、原告が存在しないということを問題視したのではないかと思われる。


ところで「右馬は証拠不十分のまま、斬首に処せられてしまう」というのは正確ではない。処刑する側にとっては証拠は明白であった。すなわち右馬が「料銭(罰金)」を払うと申し出たのが自白したも同然と判断されて、処刑実行が決定したのであった。客観的に見ればそれが証拠だというのは不十分のようにも思うが、処刑を決定した側にとっては十分な証拠とされたのであった。


このあたり、あまりにも話が違いすぎて、それを指摘するのも骨が折れるのだが、重要なポイントは、右馬は村人によって処刑が決まっていたのが延期され、その後に処刑が決定して実行されたということだ


そして、最初の決定は村人によるものだが、次の決定は村人によるものではない


九条政基が決めたのである