蕨の粉 (その5)

ここまでの要約

  • 蕨の粉は貴重なものではない→貴重なものである
  • 寡婦は村落の非構成員→根拠不明
  • 小さな子どもを抱えてひもじさに堪えかねた→寡婦の子どもだとは書いてない
  • 17〜18才の「若者」も殺されている

ついでに本郷先生は「撲殺」と書くが原典には「殺害」「殺」と書いてあるだけだということも付け加えておこう。ただし俺は無知なので当時の村社会では「殺害」といえば「撲殺」のことに決まっているという可能性は否定できない。知っている人がいたら教えてほしい。


さて疑問点はこれで終ったわけではない。まだまだ続く。400字詰原稿用紙一枚分程度の文章なのにツッコミどころが山ほどあるのだ。そして、これからが本番だといっても良い。本郷先生の主張の根幹にかかわる話である。


次のツッコミところは

右馬の事件が露見する二日前

という箇所。「右馬の事件」とは「一五〇四(永正元)年三月、本百姓の正円右馬という者が米俵をだまし取った嫌疑を掛けられた」という一件である。


これは『政基公旅引付』永正元年三月二十八日条に記してある。蕨の粉の盗難事件は三月二十六日条に記されているから「二日前」だ。じゃあ合ってるじゃないかと思われるだろうが、問題は「露見」だ。


「露見」とは「秘密や悪事など隠していたことが表に現れること。ばれること。」だ。
ろけん【露見/露顕】の意味 - 国語辞書 - goo辞書


「右馬の事件が露見する」という文を読んで、どういうことを連想するだろうか?「この日に米俵盗難事件が起きて右馬に疑いがかけられた」とか「かねてより米俵をだまし取った犯人探しが行われていたが、この日に犯人が右馬であると疑われた」というように理解するのではないだろうか?


あるいは本郷氏は右馬が処刑されたことまで書いているから「右馬の事件」とは「右馬に嫌疑が掛けられて斬首されたこと」と理解して、それが露見したという意味に受け取るかもしれない。「右馬の事件」といっても「右馬が米俵を盗難した事件」なのか「右馬が処刑された事件」なのかわかりにくい。


ただし、本郷氏は書いてないが、右馬が処刑されたのは翌二十九日の早朝である。すなわち後者でないことは明らかだ。では前者が正しいかというと、これも違うのである(詳細はまた後で)。


では、二十八日に何があったのかといえば、右馬が米俵を盗んだという嫌疑で処刑されようとしていたところ、右馬の弟の高野聖の訴えにより処刑が延期されているという話が近衛政基に伝えられたということである。


すなわち、本郷氏のいう「露見」とは、村人が知らなかったことが明らかになったということではなく「近衛政基が知った」ということである。しかるに「露見」とは「隠していたことが表に現れる」という意味であり、そもそも地下沙汰は先の蕨の粉の件でわかるように結果だけを知らせれば良いものであると考えられるから、別に村人は隠そうとしていたわけではないのであって、「露見」という表現はどのように考えたって不適当なのである。


ところで、地下沙汰は結果だけを知らせれば良いように思われるのに、なぜ村人はまだ決着していない時点で近衛政基にこの話を知らせたのか?これが実に重要な問題なのだ。