Twitterに書いたことをまとめて一部加筆修正した
呉座氏のツイッター過去見てる。本郷和人氏に対する批判「本郷」「HG」「H郷」で使い分けてるわけじゃないんだろうけど「H郷」が特にひどいですね。著者近影がキモいとか、さらにもっとひどいのもありますね(さすがに書けない、もちろん本当に実行するわけじゃないんだろうけど)
※ツイセーブで閲覧。近く呉座氏のツイッターアカウントは削除される予定らしいので、それ以降も見れるかはわからない。
Yuichi Goza (@goza_u1) のツイート - ツイセーブ
今に続く本郷氏批判の流れは呉座氏周辺から始まったんでしょうね。俺はそれより前からしてたけど。呉座氏のは鍵垢だから見えなかったし。
※ 俺の本郷氏批判は左上にある検索窓に「本郷和人」または「本郷」と入力して検索すれば出てくる。初出は2011年9月22日。当時の本郷氏はつい最近までの呉座氏と同様(少なくとも一般には)高い評価を受けてたんですよね。
呉座氏の本郷氏批判はかなり多いんだけど、批判といっても「本郷氏批判」であって、「本郷氏の説批判」(「坂本龍馬暗殺の黒幕は薩摩藩」のような)、具体的に何の説が間違ってるというのは少ないですね。しかもそれ今の説と違う。古いとかいうようなものが主ですね。
俺の場合は本郷氏の本やネット記事を見て、そこおかしいのではないか?と思って調べるというものなんだけど、呉座氏の場合は現在の通説・定説と本郷氏の説が違うというだけの話がほとんどですね。
『「旧説」であって「珍説」ではない』って書いてますね。俺は本郷氏「珍説」だらけだと思いますけどね。
H郷先生も大いに問題ではあるのですが、彼の場合は「旧説」であって「珍説」ではないんですね。ご自分の専門から外れたところでは「坂本龍馬暗殺の黒幕は薩摩藩」とか荒唐無稽なことを言っていますが、それは近代史の方が批判すべきかと思います。https://t.co/KMe4tftOSu
— Yuichi Goza (@goza_u1) 2020年8月2日
俺は本郷氏と呉座氏はどっこいどっこいだと思いますね。知識はある。でもその説がどのようにして出来たかの理解が足りない。だからその知識を応用しようとすると「珍説」になる。昨日の文永の役見てもそんな感じ。
「陰謀の発案者は一〇〇%完璧に未来を見過ごすことができる完全無欠の天才(超能力者?)である」という発想が陰謀論の根底にある。」
これを持ち出すべきか少し戸惑うけどすぐに思い付くものが無いので出すけど、たとえば「安倍晋三最強説」。安倍氏批判の陰謀論をつきつめれば安倍氏がスーパーマンになってしまうという皮肉。
togetter.com陰謀論者は陰謀を実行するには大変な能力・労力が必要だということまで考えが及ばないので結果的に「完全無欠の天才」になってしまうのであって、「陰謀論の根底にある」ものでは無い。
たとえばこれは陰謀論じゃないけど「江戸しぐさ」の「江戸っ子大虐殺」。これは「江戸しぐさ」があったのなら、なぜその痕跡が一切残ってないのか?当初はそこまで考えてなかったから、辻褄合わせのために後付けされたものだろう。
当初は深く考えずにお気楽に作られた陰謀論が、矛盾を糊塗していくうちに「完全無欠の天才」を必要とせざるを得なくなっていく場合もあるだろう。
呉座氏はこの話をどこかで聞きかじって、よく理解できないまま、因果関係を間違えて「陰謀論の根底にある」としてしまったのではないか?
※ あとから陰謀論に浮上した疑問点をクリアするために「完全無欠の天才」にした(せざるをえなかった)か、あるいは陰謀論批判者によって「そんな陰謀は完全無欠の天才でなければ成し得ない(よって陰謀は無かった)」という文脈で使われるものだろう。後者の方が多いのではないかと思う。最初から陰謀の発案者は「完全無欠の天才」という認識で陰謀論が作られたというケースはあるのだろうか?もしかしたらあるかもしれないが俺は知らない。多くはその陰謀を実行するのには、現実には様々な問題をクリアしなければならないのに、そこまで考えが及ばず、権力を持つものであれば「完全無欠の天才」で無くてもいとも簡単にできると思ってただけなんだと思いますけどね。