『陰謀の日本中世史』について(その8)源実朝暗殺事件(その2)

源実朝暗殺事件の真相は?といった場合、まず当たるべきは一次史料である。これは本能寺の変に関して学者や研究者が良く言うので鍛えられている。で、一次史料でわかるのは、建保7(1219)年1月27日の夜に鶴岡八幡宮で将軍実朝が公暁に殺され、公暁もまた討たれたということが2月2日に京都に伝えられたということ(『仁和寺日次記』)。これだけで真相などわかりようがない。それじゃ物足りないので『愚管抄』や『吾妻鏡』などの二次史料を使用することになる。


で、黒幕説がなぜ生じたのか詳しいことは俺はまだ調べてないけれども、まず何といっても『吾妻鏡』によれば、当日、北条義時が楼門で「心神御違例」のことがあって、剣を源仲章に譲り退去したとあり、これがあまりにも出来すぎた話なので、義時が前もって暗殺が起きるのを知っていたのではないかと考えられたということではないかと思う。しかしながら『吾妻鏡』の前後を見れば、義時の建立した大倉薬師堂(後の覚園寺)本尊の薬師如来が義時を救ったという霊験譚である可能性が高く、『吾妻鏡』編纂の際に覚園寺の縁起譚が採用されてしまったのだと思われ、史実ではないだろう。よって黒幕などいないと俺は思うんだが、本能寺の変黒幕説と同じく、いったん火のついた黒幕説は拡大して、黒幕がいるとする根拠もそれだけではなくなっていったのではないか?


そして、『陰謀の日本中世史』で呉座氏が主張する

 しかし、いくら血筋は申し分ないとはいえ、現将軍を暗殺した者がすんなり次の将軍に就任するというのは難しい。公暁が将軍の地位を目指していたとしたら、単独で実朝暗殺に動くとは考えにくい。事前に有力御家人の支持を得ているはずである。
 実朝暗殺の「黒幕」は誰か。通説では北条義時と言われている。(以下略)

も、その一つだろう。だけれど、この論理に俺は納得できない。理由は何段階もある。そもそも論としては公暁が将軍の地位を目指していた」というのは一次史料に載るものではないということだが、それを言ってはおしまいになってしまう。そこで切り捨てるのもありだが、これを事実と仮定してみる。で、これも詳細に検討すると長くなるので簡潔にする(といってもそれなりに長くなるけど)。


まず、「現将軍を暗殺した者がすんなり次の将軍に就任するというのは難しい」というのは全くその通りだろう。だから事前の「有力御家人の支持」が必要というわけだ。これもその通り。だが、結果から見れば「黒幕=有力御家人の支持者」がいたにもかかわらず公暁の計画は失敗したということになる。それはなぜか?可能性としては、
(1)黒幕は公暁を将軍にするつもりだったが何らかの理由で失敗した。
(2)黒幕は公暁を将軍にするつもりなどさらさら無く、公暁を利用しただけ。
のどちらかであろうが、一般には後者で考えられていると思われる。要するに公暁は騙されたということだ。


陰謀論」にもいろいろあるが、これは陰謀の黒幕と陰謀で騙された側が共同で事を行ったケースである。「騙されるのは騙された方にも責任がある」と良く言われるが、公暁はなぜ騙されたのだろうか?騙される可能性は十分にあり予見できたはずだ。であるなら、騙されないように念には念を入れる必要がある。この件は命がけなのだからなおさらだ。たとえば裏切った場合には黒幕もただでは済まないような仕組みにするとかが、どう考えたって必要ではないか?しかし現実には黒幕は表に出ることなく公暁だけが殺されてしまった。


黒幕が余程巧妙だったのか?それとも公暁が甘言に容易く騙される男だったのか?おそらく後者であろう。なぜなら吾妻鏡』等を見る限りでは陰謀が露見して黒幕が暴露される可能性は非常に高いと思われるからだ。黒幕が暴露されないためには関係者すなわち公暁の口封じが必要だ。彼を亡き者にしなければならない。そして実際公暁は殺された。それがまた陰謀論の存在の根拠にもなる。しかしながら、公暁が実朝を殺してから自身が殺されるまでにはかなりの時間が経過している。その間に公暁が暴露してしまったら黒幕も終りだ。そもそも刺客を差し向ければ必ず殺せるという保証もない。あるいは実朝暗殺に失敗して公暁が捕まったらどうするつもりだったのだろう?この陰謀は不確実性が高いのである。黒幕が巧妙だったとは思えない。ばれなかったのは幸運という他ないだろう。そして公暁が騙されやすく思慮に欠ける軽薄な人物だったとしたら問題はさらに拡大する。こういう人物は騙して利用するのも簡単だが、逆に寝返る可能性も高いだろう。そうなったらもちろん終りだ。口が軽くて計画実行前に情報が漏れてしまう危険も高い。


北条義時三浦義村後鳥羽上皇あるいは他の誰でもそんな危険な賭けに出るだろうか?失敗したら死が待ってる(後鳥羽上皇の場合は流罪かもしれないが)。もちろん、それは時と場合による。自身が滅びる可能性があっても賭けに出る場合はあるけれども、そんな状況にあったとは思えない。いやあったかもしれないが、陰謀論を唱えるのであれば、そういう状況があったことを示す必要があるだろう。単に実朝を殺すと有利になるというだけの理由で実行するとは思えないのだ。


で、陰謀が無ければこの事件は説明がつかないというのなら、決め手を欠いても黒幕がいたという可能性を考察する意義はあるだろうけれども、果たしてそうかといえば俺はそうは思わない。黒幕がいなくても、すなわち公暁単独犯行説でこの事件は十分説明がつくと思う。


そもそも

公暁が将軍の地位を目指していたとしたら、単独で実朝暗殺に動くとは考えにくい。

というけれども、将軍の地位を目指すのと、将軍になれるのとは意味が異なる。客観的に見れば将軍になるのは難しいが、目指すだけだったら簡単なことだ。もちろんそうはいっても、第一の目標が将軍になることだったら、いかに思慮に欠ける人物だったとしても、それなりの準備根回しはしたかもしれない。しかし公暁の実朝暗殺動機は他にあったのではないかと推察される。つまり「父の仇討ち」。実朝が父の頼家の仇だというのは不自然な話だが、これも客観的に見ればそうだという話であって、公暁がそう思い込んでるのならば仇なのではないか?絶対におかしいとは言えない(もちろんこの部分が事実ではない可能性もあり別の理由かもしれないけれど)。公暁としては実朝を討つことが絶対的な目標であって、その後に生きながらえるとか、まして将軍になるとかは考えてなかったのではないか?公暁は実朝を討ったあと、その場から実朝の首を持って逃走し後見人の備中阿闍梨の家で食事をし三浦義村に使者を遣わしたとされているけれども、それは事前の計画にあったことなのだろうか?殺人現場で捕えられたり討たれたりすることは無いとわかっていたのだろうか?だとしたら相当緻密な計画だったことになる(あるいはその場の全員グルの壮大な計画だったことになる)けれども、そうではなくて、あまりにも想定外の出来事に対処できずに、たまたま逃げることができたのだと思う。その場で討たれてたら将軍になるも何もあったものじゃなかったわけで、逃げることができたからこそ、将軍云々の話が出てきたのだと俺は思う。


というわけで、陰謀論よりも単独犯行説の方が問題点が少ないと俺は思う。もちろん黒幕がいる可能性は完全には捨てきれない。それは大抵の黒幕説もそうだろう。あくまで可能性の問題であり、また相対的な問題でもある。俺からすれば本能寺の変の黒幕説がありえないのと同程度に実朝暗殺事件の黒幕説もありえないと思う。なぜ呉座氏が単独犯行説に言及しないで、問題点を指摘しているとはいえ黒幕説ばかりを取り上げているのだろうか?黒幕説批判がテーマだからという可能性もあるけど、そうだとしても本能寺の変の方では単独犯行説を論じているのだから納得できるものではない。


※ なお、呉座氏は

史書吾妻鏡』『愚管抄』によれば、実朝を討った公暁は三浦善村に使者を送り、「私が征夷大将軍になるつもりだから、その準備をせよ」と伝えたという。

と説明するが、ウィキペディアの「公暁」の記事には

乳母夫の三浦義村に使いを出し、「今こそ我は東国の大将軍である。その準備をせよ」と言い送った。
公暁 - Wikipedia

とある。原文は

今有将軍之闕、吾専当東関之長也、早可廻計議之由被示合、(吾妻鏡

ワレカクシツ、今ハ我コソハ大将軍ヨ、ソレヘユカン(愚管抄

であり「なるつもり」ではなく「である」とするウィキペディアの方が正しいと思われ。この場合の「東関之長」や「大将軍」は公式な役職ではないだろう。