蕨の粉 (その4)

ここまでの要約

  • 蕨の粉は貴重なものではない→貴重なものである
  • 寡婦は村落の非構成員→根拠不明


疑問点はまだまだ続く。本郷氏は

働き手である夫を亡くした彼女たちは、小さな子どもを抱えてひもじさに堪えかねたのだろう。だが若者たちはこのことを知るや、寡婦の家に急行し、数人の子どももろとも、彼女らを撲殺してしまう。

と書く。ところが原典には、

其外十七・八ナル男子、其外年少之子共、夜前モ六・七人殺之云々。

としか書いてない。すなわち、「年少之子共」が殺されたのは間違いないが、寡婦の子だとは書いてないのである。


そうはいっても、子供が寡婦の子の可能性はあるのではないかという考えもあるだろう。その可能性はあるかもしれない。だがそうでない可能性もある。


なお俺は子供は寡婦の子ではなくて親子ではない可能性が非常に高いように思う。理由はまた後ほど。



※ ところで、もし仮に殺されたのが寡婦の子供だとしても、そこに「十七・八ナル男子」が含まれていることに注意しなければならない。本郷氏の文章からは彼が含まれていることは知りようがない。そして彼は「小さな子ども」ではなくて立派な若者であり、また労働力である。


寡婦が小さな子どもを抱えているのと、寡婦に立派な若者がいるのとでは大違いだ。彼が寡婦の子であるのなら、2人の寡婦のうちの1人の家は「寡婦・若者」または「寡婦・若者・小さな子供」という家族構成であり、その家は特に他の家と比較して弱者というわけでもないだろう。少なくとも「若者・母親・小さな子供」という家族や、あるいは母親もまだ老齢というわけでもないだろうから「若者夫婦・小さな子供」という家族と大きな違いはないように思うのだがいかがであろうか。ただし「若者」が病弱で農作業ができないという可能性もなくはないとはいえるが…


また、本郷先生は「若者の暴力」が女性や子供などの弱者に向けられたことを主張したいのだと思われるが、その当の「若者」が殺されているという事例でもあるのであった。