蕨の粉 (その3)

俺は素人の歴史ファンであって、素人の歴史ファンにありがちなこととして戦国武将とかには興味があっても、室町時代の村落とかにはあまり興味が無いし知識もない。だけど例えば戦国武将が早死して後継者が幼い場合、未亡人が幼児の後見人として実質的に家長の役割を担うというようなケースがあることは知っている。


その他あれこれ考えてみると、本郷先生は

ところが相手が非構成員であると、若者の暴力がより直截に振るわれている。

と言うけれど寡婦」は本当に村落共同体の非構成員なのかという疑問が沸いてくる。


というわけで検索してみるとウィキペディアに、

若衆
若衆は、惣村の警察・自衛・消防・普請・耕作など共同体の労働の中心を担っていた。また、女性は惣村の構成員には含まれなかった。ただし、死亡した夫の財産を相続した後家(寡婦・未亡人)については、惣村の構成員として認められることもあった。若者組も参照。

惣村 - Wikipedia
と書いてある。


もちろんウィキペディアを鵜呑みにできないし地域によって違うかもしれないから、寡婦が村落構成員でないケースもあるのかもしれない。しかし『政基公旅引付』の記事にある「寡婦」が村落構成員で無いという根拠がどこにあるのか、俺にはわからないのであった。