明智光秀の生年(さらに追記)

ふと気付いたんだが、


明智軍記』を元にすれば光秀の生年は享禄元年(1528年)。
『当代記』を元にすれば永正13年(1516年)。


その差12年で一回り違うということになる。別の言い方をすればどちらも「子年」


ということは、光秀は子年生まれという伝承があって、そこから55歳説と67歳説を生じさせたのかもしれない


まあ他にも57歳説、63歳説もあるそうだから違うかもしれないけれど。


なお、

信長が見たネズミ(明智光秀=子年生まれ)がウマ(信長=午年生まれ)のお腹を食い破って出てくるという「本能寺の変」を予感させる夢のエピソード

滋賀報知新聞
というのがあるらしい。初耳なんだが、これはいつからあるものだろうか?江戸時代初期に既にあった伝承ならば、そこから年齢が割り出された可能性があるかもしれないと思ったりする。


これか。

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/06(金) 07:47:11 ID:o7/yocmc
乱丸の夢占い

天正10年のある夜、信長が「 馬の腹をネズミが食い破る夢 」を見た。
信長「きのうこんな夢を見たお」
乱丸「その夢は凶夢です!上様はウマ年、明智はネズミ年生まれですからから、その夢は上様が
光秀のせいで切腹なさるという凶兆です。明智様の動向に気をつけられませ!!」
信長「ははは、そんな夢占いを真に受けることができるか」

信長は森乱丸の夢占いを一笑に付したという。本能寺の変の10日前のことであった。

乱丸の夢占い - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ


他にもいくつか検索で見つけたが出典が書いてない。この手の話って実話ではないってことで軽視されがちなんだよね。


誰か情報プリーズ。


(さらに追記)
三国志に「鼠 馬の鞍を齧る」という逸話があるそうだ。
鼠 馬の鞍を齧る の、本文を教えてくれませんか... 書き下し文と、口語訳はある... - Yahoo!知恵袋


(さらに追記9:07)

春長は冷ややかに「国に盗賊、家には鼠、ムム、そちゃしかも子の年、道理こそ恩知らずめ。したが蘭丸といふ逸物の猫にぶたれて、アノみすぼらしいなりわえ。エエ、面わえ」と嘲笑される破目になる。

時今也桔梗旗揚 - Wikipedia
「文化五年七月(1808年8月)江戸市村座初演」。

本能寺の変を題材とした『祇園祭礼信仰記』・『三日太平記』・『絵本太功記』などの先行諸作品をもとにしている。

このあたりを当たればいいのだろうか?


(さらにさらに追記)

492:人間七七四年[sage] 2009/01/09(金) 13:43:30 id:CRpSiRf9 (1/1)
>>491
>あと神のお告げ説とか。
本能寺に泊まっていた信長は、馬がネズミに食われる夢を見た。それを蘭丸に報告すると、
蘭丸は驚いて「それは正夢です!」と言った。
蘭丸曰く、ねずみ年の光秀が午年の信長に謀反を起こして切腹させるという。
それを聞いた信長は、「そこまで夢を本気にする奴があるか」と笑った。
という逸話がある。

逸話の真贋自体は検討する価値もないが、この逸話の誕生が古い年代だとすれば、光秀の干支(ネズミ)から
55才説(ないし67才説)の補強証拠になるかも知れない。

■■■本能寺の変徹底考察スレ④■■■ - READ2CH


似たようなこと考えてる人がいた。もっとも俺の場合は「補強証拠」じゃなくて、逆にそこから派生したのではないかと考えたのだが。


なお、それに対するレスが

93:人間七七四年[] 2009/01/09(金) 15:18:16 ID:3GVgH8Tc (1/1)
う〜んオカルトっぽくなって来ましたね〜。
でも、逸話や伝記には真実が隠されている事が多いと言うね。

なんでこれが「オカルトっぽく」ってことになるんだろうか。だが歴史研究者の中にもこういう話を敬遠する雰囲気があるのは常々感じている。しかもここにあるように肯定的に捉える場合も「逸話や伝記には真実が隠されている事が多い」みたいな話になる(たとえば神武天皇は実在した、あるいは実在しなかったとしてもモデルがいたみたいな)。そういう話でもなくて「伝説が存在した時代に、そういう認識があった」という話であり、その話が事実かというのはまた先の話なのだが、なぜか理解できない人が多いのは謎。