明智光秀の生年(追記)

昨日の記事を書くためにネットで検索して初めて知ったのだが、明智光秀享年67歳説は「最近」注目されているらしい。


まあ「最近」とか「最新」という言葉は歴史研究においては実にいい加減なもので、30年以上前の歴史知識といえば中学の教科書とテレビと新聞、または漫画くらいからしか得ていなかった俺でも知ってたことが、今でも「最近の研究」として書かれていることは珍しくない。


けど、この場合の「最近」とは、文字通り「最近」のことで、去年の6月26日にNHKの「歴史秘話ヒストリア」で光秀が67歳とされていて、それで一部で話題になってたらしい。


岩井三四二:著『とまどい本能寺の変』より」(2014年06月06日 公開)とある記事に、高柳光寿著『明智光秀』の光秀55歳説を紹介し、

 昭和33年以降これまでに、いくつかの史料上に光秀の年齢が記載されているのが発見され、報告されてきた。その結果、55歳説のほかに57歳、63歳、そして67歳の3つの説が新たに出てきたのである。

本能寺の変の意外な真相〜明智光秀は認知症だった!? | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所
と書いてある。


昭和33年といえば西暦1958年で今から56年も前のことである。確かに高柳博士の『明智光秀』には55歳説のみが紹介されていて67歳説は出てこない。そして

光秀の年齢はこの書以外には全く所伝がない

と書かれている。ただし高柳博士が『当代記』を読んでないはずがない。というか55歳説が出てくるのは人物叢書の新版ではP273だがP278-279に

ちなみに『当代記』を「史籍雑纂」に松平忠明の著のようにいっているがそれは勿論誤りである

と書いてある。つまり高柳博士は『当代記』を信用していない。『明智軍記』を「悪書」としているけれども、それ以下だと考えているのだろう。


光秀享年67歳説は、昭和33年以降に「発見」されたわけではなくて、「価値がそれなりに上がった」ということだと思われる。それを誰がしたのかは知らないけれど。


上の記事では

 その中で、『当代記』という書物に、「明智、時に六十七歳」との注記があるのが昨今、注目されている。これは戦国史研究家の谷口克広氏がその著『検証 本能寺の変』(吉川弘文館)で指摘されたのを嗜矢とする(光秀の年齢に関するこの書の記述も、同書に教えられるところが大きい。紙面を借りて御礼申しあげます)。

と書かれている。『検証 本能寺の変』は2007年5月1日第一刷発行となっている。7年前だが「昨今」とは言えるだろう。ただし、俺が歴史本を本格的に読み始めたのはネットを始めたのと同時期で2002年頃のことで、いかにも一般人らしく信長および本能寺の変の本などから入っていったのだが、もうその段階で67歳説を目にしていた。これも一般人らしく光秀=天海説などにも興味津々だったから年齢に対する関心は強かったので間違いない(それが何によって得たものだったのかまでは覚えてないが)。


なお、上記『とまどい本能寺の変』はアマゾンで見ると発効日が2014/1/16になっている。ところで 「BUSHOO!JAPAN」の「はてな」でお馴染み恵美嘉樹氏の2013/07/19日付の記事は、

こうした中、大きな研究の進展がありました。『当代記』という信頼できる史料に、本能寺の変当時、光秀の年齢が67歳との記載が見つかったのです。これまでは、1528年生まれとの説が有力でしたので、通説よりも12歳年上だったことになります。

本能寺の変を起こしたのは、老い先が短かったから!? 明智光秀 | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
と、こちらも「見つかった」と書かれている。


「発見され」とか「見つかった」とかいうのは、既に書いたように到底信じられないのだが、なぜそのように書かれるのだろうか?そう書かれた共通の情報源があるのだろうか?