本能寺の変「朝廷黒幕説」といえばウィキペディアにもあるように、朝廷が明智光秀に謀叛を促したというもの。
⇒本能寺の変 - Wikipedia
俺はこれには全く同意しない。
しかしながら従来本能寺の変と朝廷との関係というのはあまり考えられてこなかったように思われる。朝廷に着目したという点ではそれなりに意義があったのかもしれない。
で、「朝廷黒幕説」には同意できないけれども、じゃあ本能寺の変に朝廷は関係していなかったかというと、どうもそうではないように思われる今日この頃。
石谷家文書により近衛前久が信長と元親の関係悪化に介入していたことはほぼ間違いなく、「関係者」であったことは疑いない。もちろんだからといって「黒幕」ではない。むしろ被害者なのだろう。
では他の朝廷貴族はどうかと考えたとき、あまり注目されていなかっただろう人物がどうしても気になってくる。
その人物とは一条内基。
「本能寺の変 一条内基」で検索しても「本能寺の変が起きた時の関白」という程度で注目されているようには思えない。
しかし考えてみれば土佐の国主は同族の土佐一条氏だ。長宗我部氏が一条氏の下にいた(「御所体制)」ことは石谷氏文書に確認されるそうだ。そして天正9年に追放された内政の「内」は内基の「内」を拝領したものであろう。
本能寺の変の後も一条内基は関白職を天正12年まで続けた。近衛前久は失脚した。
前久は元親を庇護していたと思われるが、内基は土佐一条氏に思いいれがあったであろう。土佐を巡って朝廷内で確執があった可能性がある。
これはあくまでも暫定的な推理だけれども、近衛・長宗我部・明智光秀は元親と信長との関係を修復したいと考えた一方、一条・土佐一条は元親と信長の関係が悪化することを望んで信長側に工作していた(関係修復を邪魔した)可能性があるのではないかと思うのである。