徳川家康の改姓

さて、今日の記事は、
選択式夫婦別姓議論と「日本人の姓/名字」の歴史[絵文録ことのは]2011/02/15
に刺激を受けて書いているんだけれど、「夫婦別姓」については俺は既に書いているので略。


(以前の記事)
夫婦別氏(その2)
夫婦別姓問題に関してあまり論議されていると思われないもの
夫婦別姓問題に見る「単一の公共」


まず、

かつて木下藤吉郎と言っていた時代には藤原姓を名乗っていた。

とあるけれど、俺はそんな話を知らない。秀吉は「平氏」を称していたというのが俺の知るところ(それも本能寺の変があった天正10年以降)。ソースは一体何だろうか?


なお、なぜ平氏にしたのかというと、織田氏平氏だったからとか、源平交代思想だとかの説があるけれど、俺はあまり信用していない(そもそも源平交代思想を信用していない)。妻の杉原氏が伊勢平氏だったからかもしれないし、他の可能性もあるように思う。


次に、

徳川家康はもともと松平元康と名乗っていたが、松平という名字の一族はもともと賀茂とか源という姓氏だと主張していたようである。家康は今川氏から独立後、新田氏の系譜にある得川義季の子孫だと主張して、得川の名字を復活させるとともに、字を改めて徳川とした。家名ロンダリングを行なって、新たな名字を作り上げたわけである。したがって、徳川家康の名前の要素を全部集めると「徳川次郎三郎源朝臣家康」ということになる。

松平氏は少なくとも家康の祖父の代から世良田源氏を称していた。世良田氏は新田一族。家康が徳川を称したのは藤原氏になるためで、世良田氏の同族の得川氏藤原氏に改姓したという前例があったため。藤原氏になったのは三河守の官位を得るためで、藤原氏近衛前久の尽力があった。松平氏は代々近衛家の家臣ということにしたかったらしい。


というわけで、徳川氏は藤原朝臣なわけだが、家康は源氏にこだわりがあったらしく、「姓」は朝廷との関係を示すもので官位の宣旨などに必要だから、そういう場合は「藤原」なんだけれど、「公的(対朝廷)」なものではない場合には「源」としていたらしい形跡があるという。で、後に征夷大将軍に任命される際に正式に「源」に「復姓」したということらしい。すなわち、本来の公的な「姓」とは別に、私的な「姓」として源氏を称していた可能性がある。


このあたり、学者の書いたものでも、ばらばらで、どれを信じたらいいのか良くわからないんだけど。