徳川家康の「先祖」

昨晩「極東ブログ」の勘違いについて書いた。ミトコンドリア・イブの誤解は良く知られた話であるからして何でこんな勘違いをしたのか不思議ではある。一方ヨーロッパ人は自分達の「古代」をギリシャ・ローマだと認識しているけれど本当は「野蛮人」とされた人達の子孫だなんて話も結構流通している話だからこれに引っ張られたのかもしれない。


自分の先祖が何かというのは「先祖とは何か」ということも関わる。徳川家康の先祖は新田源氏だというのは系図を改竄したものだなどという説が一般になされているけれど俺は支持しない。確かな証拠があるわけでなし、新田の庶流の零落した人物が奥三河土豪の家に入婿したということがそれほど家に箔をつけるものだとも思えない。さらにいえば足利幕府が衰退したとはいえ存続している時点では新田は「朝敵」ですらある。何を好き好んでそんなことをする必要があるのか?改竄するなら他にもっと良いのがいくらでもあるだろう。とはいえこれが史実だと断言できるわけでもない。意図的な改竄でなくても事実ではないということは十分ありえる。


ただし、家康の先祖に新田氏がいたとしても松平氏の入婿になったのだから、通常は家康の先祖は松平氏賀茂氏と推測されている)となるはずだ。同姓同士で結婚しなければならないというルールがあるわけでなし、どこの家だって先祖を辿れば源氏・平氏藤原氏などがいるはずだ。しかし普通は「家」の継承で考える。従って家康の松平氏が源氏を称したのはそれなりの理由があったと考えられる。


とはいえ、その理由が「征夷大将軍には源氏しかなれないから」というものでないことは間違いない。なぜなら家康が松平から徳川に改姓したのは家康がまだ三河の大名に過ぎない時点であったからであり、しかもこれは源姓から藤原姓への改姓である。松平氏が源氏を称したのは家康の代ではなく少なくとも祖父の清康の時代には新田源氏(世良田氏)を称していた。藤原氏への改姓は三河守任官のためである。新田源氏の得川氏藤原氏を称した前例があったからだ。


家康の祖父がなぜ源氏を称したのかは謎だ。松平氏が加茂氏を称していた証拠があるので、本来は加茂氏だが家格を飾るために源氏を称したのだという説がよく言われるけれど、既に書いたように新田源氏は当時は「朝敵」であり常識的に考えれば利益になるどころか不利益になるのではないか?むしろ加茂氏を称することの方が利益を考えてのことではないか?清康の頃にはある程度の勢力を有していたので「本来の姓」を称することが可能になったのではないか?すなわち松平氏は相当昔から事実かどうかはともかく源氏だと自認していたのではないか?


ここは歴史研究家の「常識」が問われるところである。