極東ブログの壮大なる勘違い

ヨーロッパ人の歴史は1000年ほど。彼はいったいどこから来たのか?: 極東ブログ
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コメント欄等で既に指摘されていることだけれど、これはミトコンドリア・イブについてのよくある誤解と良く似た話。

これらの科学的成果は一般にも大変興味のあるところであり、たちまち広く知られることとなったが、同時に誤解をうむことともなった。特に「すべての人類はたった一人の女性からはじまった」とするものがある。正しくは、「すべての人類は母方の家系をたどると、約15-30万年前に生きていた一人の女性にたどりつく」ということである。この二つの言い方は、方向が逆であるだけでなく、本質的に異なる。

ミトコンドリア・イブ - Wikipedia



ところで先月
「モンゴルに存在するチンギス・ハンの像が巨大だと海外掲示板で話題に」海外の反応|暇は無味無臭の劇薬
というまとめ記事に

うちの生物学の先生が教えてくれたんだけど現代では200人のうち1人がチンギス・ハンの子孫になるらしい。

というコメントが掲載されていた。リンク先のウィキペディアの記事によると

2004年にオクスフォード大学の遺伝学研究チームは、DNA解析の結果、チンギス・カンが世界中でもっとも子孫を多く残した人物であるという結論を発表した。ウランバートル生化研究所との協力によるサンプル採取と解析の結果、彼らによれば、モンゴルから北中国にかけての地域で男性の8%、およそ1300万人に共通するY染色体ハプロタイプが検知出来たという。この特徴を有する地域は中東から中央アジアまで広く分布し、現在までにそのY染色体を引き継いでいる人物、すなわち男系の子孫は1600万人にのぼるとされる。研究チームはこの特有のY染色体の拡散の原因を作った人物は、モンゴル帝国創始者チンギス・カンであると推測しており、この解析でマーカーとされた遺伝子は、突然変異頻度に基づく分子時計の推計計算により、チンギス・カンの数世代前以内に突然変異によって生じた遺伝子である可能性が高いという仮説を発表した

チンギス・カン - Wikipedia
とある。これに対して

しかしながら、この論説に対しては批判もあり、特に集団遺伝学者でスタンフォード大学のルイジ・ルーカ・カヴァッリ=スフォルツァは、Y染色体の広範な分布について、共通の先祖を想定することには同意出来るものの、これを歴史上のある特定の人物の子孫であると特定するには正確さを欠いている、として異議を唱えている。

という批判があるけれど「共通の先祖を想定することには同意出来るものの」とあり、チンギス・カンと特定することへの批判である。


(俺の記憶ではイギリスのチャールズ皇太子と故ダイアナ妃の結婚式のときに二人の「共通の祖先」にチンギス・ハンがいるという報道があったと思う。系図で確認できるらしい)


なお、俺はかねてより「うちは先祖代々百姓」というような言い草に疑問を抱いており、近年帰化した人などは別として大多数の日本人は元を辿れば先祖の1人や2人は歴史上の有名人がいるのではないかと思っている。もちろん記録として残っていなければわかりようがないだろうけれど。


で、前から気になっているのが

 1950年頃、ある人口統計学者が、1000年前の一人の日本人は、現在の日本人の7割にその子孫を拡げている、という考えを発表しました。

 彼はそのとき、1000年前の典型的な人物として、源氏物語の作者紫式部を例に出しました。
 ところが、世間とマスコミは、紫式部ばかりでなく、同時代の天皇の子孫も、1950年当時の日本人の7割に当たるとか、神武天皇に遡れば日本人の9割以上が天皇の子孫だ、ということになると囃し立てて、あろうことか、その学者を不敬な学者に仕立て上げ、結局その学者は抹殺されてしまったのです。

天皇家や徳川家の子孫たちについて(1/2) | 歴史のQ&A【OKWave】

 昭和三十年頃、日本のある学者が、人口統計にかかる、ある説を発表した。それによると、日本人の七割は紫式部の子孫であるという。

紫式部について調査した結果の話ではなく、千年前の著名な日本人の一人の紫式部の血が千年後には、人口の七割に広がるという話である。天皇でも、乞食でも同様である。

日本人の七割は紫式部の子孫
という話。「紫式部 子孫」で検索すると他にもヒットするけれど、「学者」とは誰なのかとかいった具体的なことがわからない。戦後なのに「不敬」を理由に抹殺されたというのも本当なのだろうか?


誰か知ってたら教えてほしい。