日本の中華思想

戦前の教科書は神話をそのまま歴史として教えていた・・・わけではない。 - 読む・考える・書く

 こののち、熊襲がしづまったのはいうふまでもなく、百済高句麗までも、わが国につき従ひました。日本のすぐれた国がらをしたって、その後、半島から渡って来る人々が、しだいに多くなりました。このやうに、国内がしづまり、皇威が半島にまで及んだのは、ひとへに、神々のおまもりと皇室の御恵みによるものであります。

 天皇の御恵みのもとに、国民はみな、楽しくくらしてゐました。半島から来た人々も、自分の家に帰ったような気がしたのでせう、そのままとどまって、朝廷から名前や仕事や土地などをたまはり、よい日本の国民となって行きました。中には、朝廷に重く用ひられて、その子、その孫と、ながくお仕えしたものもあります。学者や機織・鍛冶にたくみなものが多く、それぞれ仕事にはげんで、御国のためにつくしました。

《太古の昔から朝鮮は劣った国であり、朝鮮人は日本人によって支配されるべき存在なのだ。「三韓征伐」のときそうだったように、朝鮮人は良き臣民として日本の利益のために奉仕せよ。》 韓国強制併合以前の1893年にはなかったこの内容は、植民地支配を正当化し、朝鮮人への差別を温存したまま彼らを二級国民として同化・統合していくために付け加えられたのである。

教科書の引用部分に「日本人」とか「朝鮮人」という語句は見られないのに、解説ではそう書いている。この人よく理解できてないのではないか?


これは「日本版中華思想」だ。中心にあるのは「日本人」ではなく「天皇」。天皇のいるところが中心であるから、日本神話でいえば日向の高千穂が元々は中心であり、大和に移動したから大和が中心になったのだ。それまでの大和には賊が住んでいたのであり立派な人々が住んでいたわけではない。それが天皇の感化により優れた人となったのだ。つまり天皇の近くに住んでいる人は自然と優れた人となり、離れたところに住んでいれば出自が立派でも劣化していくのだ、という考え。


したがって「半島から来た人々」も大和に住めば「よい日本の国民」になるのだ。そもそも彼らは今では「日本人」だ。太古の出自により差別されることはない。そのことは教科書の著者も十分承知していたはずだ。


ここでの差別は「朝鮮人」とか「日本人」といった現代の民族の概念によるものではなくて「どこに住んでいるか(天皇の徳が届いているか)による差別」だ。


※ なおこの思想の背景には日鮮同祖論も関与していると思われ、天皇の祖先は半島より日本にやってきたという考えがあり、その場合は、天皇の祖先が半島に住んでいたときには半島の人々の方が日本列島に住んでいる人より優れていたということになるのであって、現代人が安直に想像するような血統による優劣の話ではない。