「理解できない」と言えば、俺は内田樹先生が理解できない。頭脳明晰かと思えば、トンデモなことを平気で書く。あれは「釣り」でわざとやっているんだとか言われてたりするんだけれど、そうだとして一体それに何のメリットがあるんだって激しく疑問に思う。
内田先生は天然なのか計算なのか?
⇒はてなブックマーク - 豊臣秀吉の幻想 (内田樹の研究室)
⇒豊臣秀吉の幻想 (内田樹の研究室)
内田先生のゼミではそういう視点がなかったのかもしれないけれど、別にこういう考え方が「少数」だというわけじゃないでしょう。というか現在の歴史学のど真ん中じゃないんですかね?
秀吉の行動の理由を考えるときに、内田先生がおっしゃるようなことが念頭にない歴史学者などいないんじゃないかと思いますけどね。いたとしても余程の低レベルな学者でしょう。そういうことを織り込んだ上で、不明な点が多いと考えているんじゃないんですかね?
でも、そういうことを内田先生が理解できないというのも不可解なんで、先生は一体何をしたいんだって、上に書いたような疑問が浮かぶわけなんですね。
ところで、
秀吉の朝鮮半島への軍事行動は「辺境の列島に住む一部族が、ローカルな統一を果たしたので、半島に住む諸族を斬り従えて、大陸に王朝を建てようとした(が失敗した)」という、華夷秩序内部の「できごと」として考想されていたはずである。
侵略した日本人も侵略された朝鮮人も侵略の報を受けた中国人もたぶん「そういうふうに」事態をとらえていたのではないかと思う。
について。内田先生なら以下のようなことも承知の上で書いているんだとは思うんですけどね。しかし、承知してたら、こういうふうに書くだろうかって、これまたわからなくなってしまうんですね。
これら一連の動乱により、李朝の小中華的政治観は根底から覆されることになる。また文化的観点からも、崇拝の対象であった明が滅亡してしまい、一方、新たな中華帝国の支配者である清は李朝にとっては夷狄であり中華文明の後継者とは認め難く、小中華思想は文化の面でも見直しを迫られる。こうした中、「中原の中華文明は明と共に滅び中華文明の最優等生である朝鮮こそが正統な中華文明の継承者でなければならない」として、李朝は自身を残された唯一の中華文明の後継者と認識するようになる。この17世紀の中華思想については、崇明の念を元にした小中華思想であると捉える説と、自身を唯一の華であるとした朝鮮中華思想であるとする説、両論存在する[1]。この新たな小中華観では、李朝のみが唯一の華となり、当時李朝と国交をもっていた日本と清を文化的に強く差別化してしまい、両者からの文化、技術の流入を拒絶し、文化的鎖国状態に嵌り込むことになる。一方、同化すべき対象を失い外部からの文化の流入を拒絶したこの時期、独自文化の発展が見られるようになる。李朝後期に活発だった国学研究と風俗画、珍景山水画などはこの文化的鎖国の時期に発展したものである。また、この時期の小中華思想は、一連の動乱の後の国土が荒廃し国家の威信が失墜した中、民族的自尊心を高め復興へ向かわせる役割を果たした。しかし一方で、文化的鎖国により社会的停滞を迎え、技術の面でも日本や清に立ち後れることになる。
(追記)
豊臣秀吉は朝鮮半島を経由して、明を攻め滅ぼし、北京に後陽成天皇を迎えて「日本族の王朝」を建てようとした。その点では匈奴の冒頓単于や女真族の完顔阿骨打やモンゴルのチンギス・ハンや満州族のヌルハチとそれほど違うことを考えていたわけではない。
見落としてたけど、これもなんだかなあって話ですよね。
だが、この中国の怒りに対し、モンゴル・ウランバートルの旅行会社経営者、アルタンゲレル・ジャバワさん(35)は、「この記事を書いた中国人も何も分かっていませんね」と憤る。
「モンゴル国民、蒙古民族にとって、チンギス・ハンは国家創建の“神”。現在、中国の支配下にある内蒙古も含めた『大モンゴル帝国』という意味なら、中国も確かに関係していますが、それを言うなら中国がモンゴル国の一部だったというのが真実。中国の英雄ではなく、モンゴルの英雄、蒙古民族の英雄と主張すべきでしょう」
⇒ZAKZAK:「チンギス・ハン」はどこの人? 韓中蒙で大論争 オンラインゲームめぐり、三つ巴の“国際問題”に発展
なお、清朝は2代目のホンタイジ(太宗)がチンギス・ハンの末裔から元朝の玉璽を受け取ることにより、支配者としての正当性を得たという手続きを踏んだため、長城以南の地域における「皇帝」の称号とは別に、北方遊牧民に対しての「ハーン」の称号を持っていた。
中国はモンゴル民族に関して「歴史的に、多民族国家である中国を構成する民族の一つ」という見解を持っている。モンゴル国については「もともと中国の一部だったが、清末から民国期にかけて分離独立した。しかし中国(中華人民巨和国)もそれを承認したので、国際的問題は存在しない」との立場だ。
したがって、中国の見解によればチンギス・ハンは「中国人。民族はモンゴル族」となる。
一方、モンゴル国は「モンゴルと中国はもともと別の国。元朝時代にはモンゴルが中国を支配した。清朝時代には中国がモンゴルを支配した。モンゴル人居住地域の北部は独立を回復したが、内モンゴルは中国に組み込まれることになった。しかし、現在のモンゴル国もこの経緯を承認しており、領土問題などは存在しない」との立場だ。したがって、「チンギス・ハンは偉大なるモンゴル人の英雄」となる。
1990年ごろまで、中国とモンゴルの学者などがモンゴル国成立の歴史的経緯などについて議論することがあったが、両国の経済関係が密接になるにつれ、あまりみられなくなった。