天を以て兄となし、日を以て弟となす

「使者言〓王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之」とあり、天を兄とし、日を弟とした。天が明けぬうち出てあぐらをかいて座り政務し、日が出ると政務をやめ弟にゆだねた。隋の高祖は義理がないとしてこれを改めさせたという。

多利思比孤 - Wikipedia


「義理がない」とはどういう意味か?それについて検索してみると、
漢唐間における「新」中華意識の形成 −古代日本・朝鮮と中国との関連をめぐって− (川本芳昭)
という論文がヒットした。

開皇二十年に倭国から赴いた使者の言説は、隋の高祖に「此太無義理」と言わしめたほどの反応を生ぜしめている。「義理が無い」とする高祖の判断は、天を以て兄とするなどの、中国側からみたとき極めて「不遜」な言説に対してなされたものであるが、そうした判断の根柢に、当時の倭国使によって表明された「天」のあり方は、中国における「天」のとらえ方と比較して「異質」、「異様」であるとする高祖の考えが存在したと想定される。


同じく川本芳昭氏の
隋書倭国伝と日本書紀推古紀の記述をめぐつて(注:PDF)では、

 このときの倭国使の回答によれば、倭王は天の弟(当時の大王は推古であるので天妹とすべきか)、日の兄ということになる。周知のように「天子」は単に「天の子」のみを意味するのではなく、地上世界を統治せよとの天命を受け、天下に君臨する皇帝そのものを意味し、「日」は例えば『後漢書』巻六三李固伝に、李固の対策を挙げ、そこに、
中常侍在日月之側、聲執振天下。
とあるように、中国では皇帝そのものを暗喩する用語である。また、倭王が「天の弟」ということを、中国的家族制度に基づき天子たる中国皇帝の側から見れば、倭王は中国皇帝の叔父、叔母の位置に属する尊属ということになり、倭王が「日の兄」ということを「日」と暗喩される中国皇帝の立場から見れば、倭王は中国皇帝の兄ということになる。つまり、このことが文帝をして「これははなはだ理屈の通らない話だ」(此太無義理)と言わしめた原因と考えられ、ために『隋書』倭国伝に、「於是訓令改之。」とみえるような対応が文帝によって採られたと考えられるのである。

とある。


「義理」とは、

(1)物事の正しい道筋。人間のふみおこなうべき正しい道。道理。

国語 英和 和英 カタカナ 漢字 - Infoseek マルチ辞書


俺が思うに、高祖は、天や天子(皇帝)に対する「不敬」に不快感を示したというよりも、「何をわけのわからないことを言っているのだろうか」という感じだったんじゃないかと思う(川本氏がそういう意味で書いているのかちょっと自信がないけど)。


ただし、中華文明は中華文明で「天子」(天の子)という概念を持っていたのであり、つまり、中華文明の考えを「正」とすれば、倭の使者のいうことはおかしいということになるだろうが、相対的に見ればどちらがおかしいというわけではないということになるだろう…


と、言いたいところだけれど、「天を以て兄となし、日を以て弟となす」というのは、日本人である俺から見ても理解できる話ではない。むしろ、俺だって「これははなはだ理屈の通らない話だ」と言いたくなってしまう。


もちろん、それは現代的な感覚であり、古代日本においてはそういう考え方があったのだが、記録に残らず、継承もされなかったのだという可能性もある。可能性はあるにはあるのだけれど、それでも「天を以て兄となし、日を以て弟となす」というのは違和感がある。


なぜなら、「日を以て弟となす」ということは、つまり「太陽が倭王より後に生れた」ということになるわけで、そんなわけなかろうと思うからだ。


「日が弟」ほどではないにしろ、「天が兄」「天と日が兄弟」というのも何か変。疑問に思うのは、古今東西、地球上にそのような世界観を持っている民族が他にあるのだろうかということ。ネットを検索しても、あまりにも手に負えないせいだろうか、言及されているものが見つからない。


個人的には倭国と隋とで意思の疎通が上手くいっていないのではないかという印象がある。だけど、そうだとしたら、それはそれで、倭国の使者が本当はどういうことを言いたかったのか想像がつかない。