⇒かっての日本人は人種やら国籍に対する意識が薄めだったのかも:山下泰平のブロマガ - ブロマガ
俺は近現代史得意じゃないけど、非常に違和感のある記事。
素人の俺の理解するところによれば、日本人(特に国学系の人)は、日本人を精神的に優秀な民族だと考えていた。しかしあくまで「精神的」なものであって、文化については古来中国から輸入していた。和魂漢才。
で、幕末になって西洋列強がやってきて日本に開国を迫り不平等条約を締結させられた。日本人は精神的には世界で一番優れているけれども、それだけでは西洋の圧倒的な力に抵抗できない。そして今年の大河でやるかもしれないけれど、高杉晋作は上海でかつて日本に文化を伝えた中国の人々が虫けらのように扱われているのを見た。米国に留学した人々は奴隷制度を目の当たりにした。
その惨状を見て日本人は、西洋の文化を取り入れて国力をつけ、また非文明国として見下されないようにつとめ、それに成功した。その一方で、アジア・アフリカの人々と連帯し、西洋列強に対抗しようとも考えた。日本は「有色人種」のリーダーたらんとしていた。
なお「国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である」。
⇒人種的差別撤廃提案 - Wikipedia(1919年)
したがって
万歳に勢いがあるため理屈はともかくなるほどッ!!と納得してしまうんだけど、この小説が書かれたのは一九一〇年代のことだ。西洋でも人権意識が向上しつつある時代で、それが日本に輸入されて発生した小説だろうと言われてしまうと反論することができない。
というのは無知によるものであろう。アメリカで日本人移民への排斥活動が活発だった時期でもある。
⇒排日移民法 - Wikipedia
この記事で紹介されている小説もそういう背景があるものと考えられ、「日本人は人種やら国籍に対する意識が薄めだった」どころの話ではない。
で、この考えが後に八紘一宇とか五族協和とか大東亜共栄顕にも繋がっていくし、欧米列強の植民地支配からの解放(という名目)にも繋がっていくことにもなるのであった。