「スリーパーセル」論争の不思議

三浦瑠麗発言の争点として大いに議論されているものは
〇 スリーパーセルは実在するのか?
〇 スリーパーセルがいるとして大阪が危ないのか
の二点であろう。スリーパーセルといっても様々な目的があるだろうが、この場合の「スリーパーセル」とは、北朝鮮が有事の際に破壊活動を行うために日本に潜伏待機させている工作員のこと(以下も同じ意味で使う)。北朝鮮工作員の実在は過去の事例から明らか。だがそれは過去の事例であって現在存在するかはわからない。明らかになった時点でそれは過去のこととなり、今も秘密に活動している工作員の実在は証明できない。当たり前のこと。スリーパーセルについていえば、この限定された意味でのスリーパーセルの実在は確認されたことがないと思う。だが十分に実在しうるものであり、実在した場合は日本の脅威になるのだから、その危険を認知しておく必要があるのは当然である。その際には誇大妄想ではなく現実的に有り得る範囲で最大の規模だとどの程度なのかといったような予想でないといけない。


それを踏まえた上で三浦氏の主張(山猫日記)を見てみると、まず言えるのが、一般の工作員スリーパーセルに関する言及がごっちゃになっていて非常に危ういものにみえる。平壌放送の乱数放送が2016年に復活したからといって、その目的が何であるのか不明である。もちろん工作員向けということは予想しうる(ただし予想しうることを前提とした攪乱目的かもしれないが。そもそもインターネットの時代に乱数放送必要か?とも思う)。しかし、それによって主張できるのは日本に工作員が存在する可能性までで、そこからさらにスリーパーセルの実在を主張するのは無理がある。


三浦氏の論の立て方が非常に粗雑であるのは、この件に限らず前々から思っていた。ただし、そのような粗雑な言論人は学者を称する人でさえ山ほどいる。それらが一々大炎上しているかといえば、そんなことは全くないのである。スリーパーセルの実在およびその目標についての雑な主張をしたら必ず炎上するかといえば、、やはりそんなことは無いだろう。ではなぜ大炎上したのかといえば「大阪ヤバい」と発言したことであるのは疑いない


なぜ「大阪ヤバい」と発言すると炎上するのか?三浦氏が「大阪ヤバい」と発言した理由は

一般的に、テロリストは都市部にこそ潜伏しやすいものです。また、アメリカの9.11テロのように第2の都市を攻撃対象として狙う可能性があります。いきなり首都への攻撃だと全面戦争を招きかねないからです。つまり、そうした条件を考え合わせると、日本では大阪が危険ということになるわけです。

三浦瑠璃氏、ワイドナショーで北朝鮮の“潜伏テロリスト”に関する持論を展開⇒「根拠がない」とTwitterで"炎上"
だそうだ。この主張も粗雑だとは思うけれども、とにかく三浦氏が「大阪ヤバい」と発言した理由は大阪が第二の都市だからということになる。もちろんこれは後になってからの釈明だから、これが本当の理由かについて疑う余地はある。しかし純粋にそう考えたとしても不自然というわけでもない。


だが、一部の受け取り手は「大阪ヤバい」から別のことを連想した。すなわち大阪には在日朝鮮人が多い。だから大阪が危険なのだと。そして三浦氏を差別主義者に認定して大バッシングを始めた。それがニュースサイト等に取り上げられて我々の知るところとなった。最初に反応したのは、いわゆる「ネトウヨ」だったかもしれない(実際どうだったか知らないけど)。だけど、そんなんはネトウヨの日常であって、この件だけが特に取り上げられることではない。大きな話題になったのは、批判者が大量に発生したことで、それがなければ「ワイドナショー」を見てなかった俺などは、そんな発言があったことすら知らなかったかもしれない。


批判者の論調は彼女を差別主義とすることから、彼女がそのような意図はないと釈明したことで、意図がなくても、そう受け取れられてしまう発言をすべきでないに変化して、なお批判を止めようとしない。すなわち彼女の発言は在日朝鮮人差別を助長するというわけだ。だが、なぜ彼女の発言は在日朝鮮人差別を助長するのであろうか?それはスリーパーセルがいるとしたら在日朝鮮人という認識が潜在的にあるからだ。そうでなければ、大炎上などしないだろう。


差別主義者は「スリーパーセル=在日」として差別する。一方批判者は「スリーパーセル=在日」という理由で差別されることを恐れて非難する。両者に共通するのは「スリーパーセル=在日」という認識である。そこで批判者は、スリーパーセルが日本に潜伏している。大坂が危険だ。といったことが根拠不足だと否定する。それらを肯定すると「スリーパーセル=在日」が成立してしまうかのようだ。


ここでほとんど論じられてないのは、仮に日本にスリーパーセルが日本に潜伏していて大坂が危険だとしても、果たしてそのスリーパーセル在日朝鮮人なのか?ということだ。本当に不思議なことだが、批判者でさえそこをツッコまない。もちろんツッコむと言っても三浦氏はそんなことは主張してないのだから、ツッコむ相手は差別主義者および批判者である。それが見られないのは批判者でさえ、そこに何の疑問も持っていないからではないのか?


そこに疑問を持っていれば別の主張が可能だ。「たとえスリーパーセルが日本に潜伏していて大坂が危険だとしても、スリーパーセル在日朝鮮人だという根拠は無いのだから、在日朝鮮人を差別してはいけない」と。ところがそんな主張は見られない(探せばあるのかもしれないが主流ではない)。これこそが在日朝鮮人差別を防ぐのに最大の効果があるだろう。「根拠が無い」というだけでは「そうはいっても可能性は捨てきれない」と受け取れば「スリーパーセル≅在日」に直結してしまうではないか。実際そうなってるんじゃないかと思う。ここがめちゃくちゃ不思議である。差別の意図がなくても受け止められかねないというのなら、批判者側にさえそのことは言えるのではないかとさえ思う。


で、俺はこの手のことに詳しいわけではないけれども、スリーパーセル在日朝鮮人の可能性はほとんど無いと思う。なぜならスリーパーセルはただの工作員ではなくて、破壊工作を実行するための技能がなければ役に立たず、それを身につけるには訓練が必要だ。日本に住んでいてはそんなことは到底無理ではないか。なおスリーパーセルのような工作員は一人発覚したら芋づる式に摘発されるため自分以外の誰が同志なのかを通常知らされていないそうなので共同で訓練することは不可能だろう。IS戦闘員のように国外で訓練ということもあるけど、日本国籍を有しない在日は海外に出るのも大変だし当局に疑われる危険もある。よってスリーパーセルがいるとしたら北朝鮮から密入国して潜伏しているのではないだろうか?何者かになりすましているに違いないが、在日朝鮮人になりすましているとは限らない。そもそも在日になりすますメリットがどれほどあるというのだろうか(よくわからないけど)。見た目の理由から白人・黒人・南方系等々になるのは不可能だけれども、いわゆる東洋人になら偽装は可能であろうから、日本人、中国人、モンゴル人その他になりすますことは可能だし、アメリカ・ヨーロッパその他の国籍を有するアジア系の人になりすますことも可能であろう。ついでに言えばここでいうスリーパーセルの場合は有事がいつ起きるのかわからないわけだが何十年も潜伏してたら当然年を取ってしまうので若い工作員に交替しなければならない。そういう意味ではビジネスマンや留学生や研修生などに偽装して日本に入国する方が都合が良いようにも思う。繰り返すが俺はこれに詳しいわけではない。詳しい人が解説すべきだと思う。しかし、スリーパーセル在日朝鮮人だという根拠はよくわからないにも関わらず、批判者側でさえそこはツッコまない(差別を防ぐには最重要なポイントだと思うのに)。不思議なことだ。


(追記 15:10)
言及してる人がいた

地名を挙げたのがダメだ、差別だという文脈で言うならば、三浦氏が挙げてもいない「あいりん地区」「鶴橋」「生野区」などさらに具体的な地名を挙げて「今は大丈夫だけど過去はやばかった」的な記述をしてしまった古谷氏の方が非難されるべきなのではないかと思わなくもありません。それに工作員は必ずしも在日外国人や外国出身者に限らないのです。

「工作員妄想」こそ妄想だったスリーパーセル問題 --- 梶井 彩子 (アゴラ) - Yahoo!ニュース
全くその通りだろう。


なお「スリーパー」の定義だが

この「潜伏する工作員」こそ「スリーパー(セル)」であり、普段は通常の人々と同じような仕事をしながら(=潜伏)、一方で総連などに情報提供をしている人がいることを指摘しています。

とあり、そういう説明を数多く見たけれども、俺の認識では「スリーパー」は眠っている人であり、(その時がくるまで定時連絡的なものを除けば)何もしない人である。活動してるんなら眠ってないじゃんって思うんだけど。英語版Wikipediaでもそうなっている(ウィキペディアがソースかよっていちゃもんつけられそうだけどウィキペディアで知ったというわけじゃないから)。
Sleeper agent - Wikipedia
日本では別の意味があるのかもしれないが。


(追記19:15)
ゴルゴ13のデューク東郷が使った偽名はどんなものがありました... - Yahoo!知恵袋
漫画ではあるけれどゴルゴ13は様々な人物になりすましている。不自然でなければ民族・国籍なんでもありだろう。漫画読んだことがあってこういう知識がある人は多いと思うけれど、こういうことに考えが及ばないんだろうか。

(追記19:29)


当然すぎる指摘。放送直後に既に指摘されていたのか。しかし広く認知されてないのか、同意されなかったのか知らないが、その後もこの「前提」で議論され続けている。