⇒立憲民主・枝野幸男代表「安倍晋三首相は保守主義ではなくパターナリズム。自分は保守でありリベラル」 - 産経ニュース
立憲民主党の枝野幸男代表は15日、共同通信社で講演し、安倍晋三首相の政治思想について「パターナリズムだとは思うが、保守だとは思っていない」と断じた。
「パターナリズム」という言葉は日本においてそれほど知名度があるとは思えないが、衆院選に際して中島岳志氏が「週刊金曜日」の対談で「リベラルの反対語は保守ではなくパターナリズム」と主張し、それがリベラル陣営の一部に大いに受け入れられて、今なお拡散している。
リベラルは、基本的に個人の内的な価値の問題について権力は土足で踏み込まないという原則を持つ。これは寛容ということです。その反対語は、保守ではなくてパターナルで、価値を押しつける権威主義や父権制といった観念のこと。これは夫婦別姓、LGBT(性的少数者)の権利、歴史認識の問題などに現れやすい。
⇒緊急対談 衆院選で問われる日本政治の新しい対決軸、リベラル陣営のリアリズムとは(山下芳生×中島岳志) | 週刊金曜日ニュース
枝野氏の発言もこれに影響を受けたものだと考えてほぼ疑いない。
だが俺はこの意味をいくら考えても理解できない。
パターナリズムとは辞書的には
父親的干渉。温情主義。父権主義。(デジタル大辞泉)
⇒パターナリズムとは - コトバンク
のこと。これじゃあまりにも簡潔すぎる。「はてなキーワード」では
父親的温情主義、父権主義、父権的干渉主義。
本人の意思に関わりなく、本人の利益のために、本人に代わって意思決定をすること。
父と子の間のような保護・支配の関係。
⇒パターナリズムとは - はてなキーワード
と説明される。親が子のためを思って子の行動に干渉するというのは良くあることだ。物事の良し悪しがわかっていない未成熟な子供の行動を、大人である親が保護者として干渉するのは、一般的には当然のこととされているだろう。しかしそれを一人前の人間とされている成人に対して行うとすれば話は別だ。といってもパターナリズムが絶対悪とされているわけではない。それはその人の考え方次第だろう。
ただ、「リベラルの反対語はパターナリズム」というからには、リベラルはパターナリズムの正反対の位置であり、パターナリズムを否定する立場だということになろう。
果たしてそうか?
たとえばリベラルといっても右派のリベラル。一般的に言うところのネオリベラルは、個人の意思決定を最大限に尊重し、規制は最小限にすべきだとの思想であり、よって大麻や売春を合法化すべきだという主張さえある。個人の意思であればそれを規制すべきではないという論法だから、まさに反パターナリズムだろう。
しかし、日本のいわゆるリベラル(左派リベラル)は、売春や麻薬についてどう考えているのか?それは検索しても良くわからなかった。ただ、それと似た話としては賭博がある。これについてはまさに枝野氏の発言がある。
21日に日本記者クラブで開かれた候補者討論会で、枝野氏は「経済効果が一定あるとしても、ギャンブル依存症によって多重債務を抱えて、生活も家庭も崩壊する例をたくさん知っている。党として明確に反対の方針をまとめるべきで、代表になったら最大の努力をしたい」と反対を表明した。
⇒民進代表選で注目される「カジノ対決」(東スポWeb (2017年8月23日)
この主張の是非については賛否あるだろう。それはそれとして「ギャンブル依存症によって多重債務を抱えて、生活も家庭も崩壊する例」があるから反対だというのはパターナリズムの典型例なのではないだろうか?
立憲民主党になっても反対している。
11. カジノの解禁はギャンブル依存症を拡大させる。依存症は、当事者や家族にとってだけでなく膨大な社会的コストがかかり経済にもマイナス。やるべきことは、ギャンブル依存症を防止し依存症からの脱却を支援することです。「ギャンブル依存症対策基本法案」を準備しています。#枝野国会に立つ1120
— 立憲民主党 (@CDP2017) 2017年11月20日
これで「リベラルの反対語はパターナリズム」というのは全く意味不明で、いくら考えても理解不能。
(追記)19:54
ちなみに賭博が犯罪となる根拠について昭和25年最高裁判決で
勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。
⇒ギャンブルの違法性 ―賭博罪の基本思想―|とある法学徒の社会探訪
とあるそうだ。ギャンブル依存症になるから反対というパターナリズム的反対じゃなくて、こっちですればいいのにね(ただしこれはこれでパターナリズムの一種ではないかという話はありえるだろうけど)。
なお「憲法二七条一項」というのは
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
つまり「勤労の義務」のこと。「勤労の権利」ではなく「義務」なのは原案に無かったものを社会党が「働かざるものは食うべからず」は社会主義の実践的戒律であるというレーニンの影響で資産家に義務を課そうとした云々。リベラル(左翼)的といえばリベラル的な条文。
我々總て健康な國民は勤勞の義務を有する、働かない者は食ふべからずと云ふ原則を打立つべきであると考へます、殊に敗戰後の我が國に於きましては、一人と雖も無爲徒食する者があつてはならないのでありまして、
⇒EU労働法政策雑記帳: 勤労の義務
⇒黒田寿男 - Wikipedia
ただし「立憲主義」について「憲法は国家権力を縛るもので国民を縛るためのものではない」と主張しているリベラルは非常に多くいるように思われ、そもそも現行憲法の国民への義務によって賭博の違法性を認めた最高裁の判例を受け入れることができるのかと言う疑問はある。