絶対理性

他方において、理性主義は、絶対なるものは理性的な演繹の結果であり、説明可能であるとする。すなわち、理性主義のリベラルの本質は、自らが説く絶対なるものは理性に照らして明らかであるとするところにある。
 しかしながら、絶対理性なるものは、本来、理性によって説明することも否定することもできない。絶対理性はその本質からして理性の枠外にある。
(『イノベーターの条件』P・F・ドラッカー 上田惇生翻訳 ダイヤモンド社

民主主義は多数決を原則とする。しかし単純な多数決が常に正しいとは限らないというのは良く聞く話。


ルソーは市民の意志を特殊意志と一般意志に分けた。特殊意志とは個人の利益を表明したものであり、その集合が全体意志。しかし、全体意志が全体の利益となるとは必ずしもいえない。一方、一般意志は「社会契約のもとに集まった、共同体の意志」。
ルソーの一般意思ってなんですか - 哲学 - 教えて!goo
一般意思 とは - コトバンク


ところで、その「一般意志」が何であるのかがわかるとするのなら、何も国民に選挙・世論調査その他の方法で意志を訊ねる必要はなくなる。そして、独裁者が「国民は○○を望んでいるがそれは特殊意志にすぎない、一般意思はこうである」として強制することが可能になる。

「一般意志」は存在する。しかし、それがいかに存在し、いずこに存在し、なぜ存在するかは誰も知らない。それは完全であって絶対であるがゆえに、万物に君臨する。完全な理性を有する者、社会の最高意志を理解する者は誰であろうとも、それを社会の多数派、少数派、あるいは個々の人間に強要する権利と義務をもつ。自由はその「一般意志」の完全な表現によってのみ可能となる。ルソーの思想は、個人の理性、個人の自由を認める素振りさえ見せなかった。
(引用同上)


理性主義のリベラルがこの手のことを言い出したら要注意ってことですね。たとえば「死刑廃止」についてとかね。