そもそも天賦人権説とは

俺は哲学に詳しいわけではないので一応確認。
天賦人権論 とは - コトバンク

デジタル大辞泉の解説
てんぷじんけん‐ろん 【天賦人権論】

人間は生まれながらにして自由・平等であり、幸福を追求する権利があるという思想。ルソーやミルをはじめとするフランスやイギリスの啓蒙思想家あるいは自然法学者らによって主張された。明治維新後、日本に紹介され、明治前期の自由民権運動の理論的支柱となった。


ただし、

世界大百科事典 第2版の解説
てんぷじんけんろん【天賦人権論】

すべての人間は権力も奪うことができぬ一定の権利をア・プリオリに賦与されているという,明治前期に展開された思想。原始儒教的な宇宙万物の主宰としての天の観念,あるいは人間にはア・プリオリに道徳性が賦与されているという儒教的な観念などを媒介として,近代西欧の自然権natural rightsの観念が導入されたところに成立した。
(以下略)

という解説もあって、これだと日本特有の観念みたいになってしまうけれど、一般的には上の意味で理解されていると思う。


で、この解説を見ても「国家からの自由」みたいなことはどこにも書いてない。


俺が思うに「天賦人権論」が念頭に置いているのは、慣習だとか、宗教だとか、身分制度だとか、そういったものからの自由ということじゃなかろうか?すなわち、啓蒙思想家が「非理性的・非合理的」だと見做した、絶対的・普遍的ではない伝統的・地域的なものからの自由ではないだろうか?


もちろん、その中に「王権」というものも含まれていると考えられるから、当時の国家権力からの自由も含まれていたということにはなるだろう。


しかし、王政を倒して、人民の人民による国家が成立したら国家権力は人民そのものであるからして、国家が人民に対して自由の制限をしたとしても、自らの意思で行っているという理屈になるだろう。無論、人間は過ちを犯すものであるからして、間違ったものは否定しなければならないが、「正しいもの」であるのならば許されるのではなかろうか?では何が正しい人民の意思なのかということになるけれど、それこそがルソーの「一般意思」ということになるのではなかろうか?


かくして人民国家の人民は自らが意識しているか否かに関わらず「人民が真に望んでいるもの」としての一般意思という得体の知れないものに支配されることになる。


で、そのような考え方を保守は否定してきたのだが、日本の「保守」は熱烈に支持する。一方で「革新」は否定するのだが、何故かといえば、現在の日本が「民意」(彼らが良く口にするところの「国民の声」という名の一般意思。「えっ?俺も国民なんだけどそんなこと主張してないよ」ってのがいっぱいあるのだが)を反映していないからということではないだろうか?