「天賦人権論」についてなんだが、俺は無知なんで何が正しいのかわからない。ネット上には今回の騒動でいろんなことが書かれているけれど、正直どれも信用できない。学者らしき人の言ってることすら素直に信じて良いものか戸惑う。
そもそも日本国憲法で言う基本的人権は天賦人権論によるものなのだろうか?日本国憲法をざっと読んでみたけれど、どこにも人権が天賦だとは書いてない(神が出てこないのはもちろん生まれつき持ってる権利みたいなことも書いてない)。
そのかわりに97条に、
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
と書いてある。(天から与えられたものではなく)人類が獲得してきたものだと明記してある。
普通に読めば、憲法の言う基本的人権は天賦人権論によるものではないと解釈できるのではないだろうか?
ところが、片山さつき氏は「天賦人権論をとるのは止めよう」といい、一方、批判する側に日本国憲法が天賦人権論によっていると考えているらしき人がいる。
一体どうなってるんだと頭が混乱する。
なお合衆国憲法も見てみたがやはり天賦人権論らしきものが見当たらない。ただし独立宣言が天賦人権論によっていることは明白だ(でもこれとルソーやフランス革命の天賦人権論が同じものかというとこれまたわからない)。
で、片山さつき氏は「天賦人権論をとるのは止めよう」と言っているのは、人権は天から与えられるのではなく国民がそれを守る努力をしなければならないということを憲法に明文化しようと考えているのだと(一般にはそう理解されてないみたいではあるけれど)俺には理解できるのだが、自民党の憲法草案を見るとこの97条が削除されている。これは妙な話だ。もしかしたら自民党的には「現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利」というのが気に食わないのかもしれないが、そうであったとしても「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」については残すのが当然のはずだ。「人類」が持つ普遍的なニュアンスが気に入らないのなら「我々」とか「歴史」とか「祖先」などでもいいけれど。これこそが保守的な考え方であるわけだし。
混乱の基本的な原因は日本人が「保守」とは何かということ、その上で「革新」「左翼」とは何かということを理解していないことだと思う。俺も自慢できるほど理解しているわけではないけれど、いろいろとそれは違うだろと思うことは良くある。