日本国憲法の「勤労の義務」は前々から謎だった。生活に困るから働くのであって、生活できるのなら働くか働かないかなんて当人の自由。そして現実にも働かないからといって罰せられるわけではない。そりゃ生活保護を受給しているのなら自活するための努力をすべきであるが、それは「勤労の義務」ではなくて「自活の義務」でしょう。「国民に保障する自由及び権利は(中略)これを濫用してはならない」で十分対応できる。
この謎が、
⇒「権利行使には義務が伴う」ってのは社会党の主張だったんだが・・・: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
を見て、政府案には無かったものを社会党が提案して追加されたものだと知った。
「勤労の義務」は社会主義・共産主義のイデオロギーからきたものであった。これで長年の謎が解けた。ただし政府の解釈は左翼的ではない。左翼から見れば自分たちの主張が採用されたと、一方、政府としては「勤労の義務」という文面は入れたけれど、イデオロギーまでは採用していないということであろう。見る人によって違う解釈が可能なわけだ。ところが左翼自身が国家による義務の強制に反対する立場を濃厚にしたことによって、一体「勤労の義務」は何のためにあるのかが謎になってしまったと、そういうことであろうか。
で、自民の改憲草案によると「勤労の義務」は引き続き残るそうである。保守・自由主義の立場であればこんなものはとっとと削除すべきである。左翼も今では支持していないのだろうから反対もされないだろう。
一体誰が「勤労の義務」を守りたいと考えているのかといえば、「勤労は美徳」という道徳を支持する「保守オヤジ(政治的な保守ではなく価値観が保守という意味)」だろう。気持ちはわからないでもないが憲法に書くべきことだとは全く思わない。道徳は必要だが国家が強制するものではない。道徳を広めたければ国家ではなく民間で布教活動に励めばよい。
なお大日本帝国憲法に「勤労の義務」の規定はない。
なお世間では資本家が支持するように言う向きもあるけれど、「勤労の義務」を強化すればそれだけ雇用の場を提供する責任が資本家に課せられるわけで、それは無いんじゃないかと思う。