保守は片山さつきを支持できるのか?

リベラルが片山さつきを批判するのは滑稽だということは書いたが、では保守はどうなのか?


片山さつきが否定しているのは「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論」である。「人権がある」=「人権が守られる」ではない。もし「人権がある」=「人権が守られる」なら、そもそも誰かが人権を阻害しようとしても阻害不可能である。従って批判する必要もない。できっこないのにバカな奴とでも思っておけばいいだけのことだ。そうでないのは人権があっても守らなければ阻害されると考えているってことだ。では、どうやってそれを守るのかというと国家ということになる。ホッブズにしろロックにしろルソーにしろその点では同じだ。
社会契約


人権は国家が与えるものではないが、国家が無ければ守られない。と考えるから国家が必要なのだ。もちろん国家が積極的に介入して人権を守るべきだと考えるリベラルとは違い、保守は小さな政府を指向するから、憲法を改正してまで義務を明記する必要があるのかとは思う。リベラルが片山氏を批判するのは滑稽だと思う。一方、保守が積極的に賛成するのも違和感があるが滑稽というほどではない。やらなくてもいいんじゃないの程度の話だ。無政府主義者を別にすれば否定されるべきことではない。


現行憲法でも、

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

と書いてあり、そこに「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し」を加えたところで内容が変化したわけじゃない。現行憲法に明記してなくても義務があるのは当然だ。自民案でできることは現行憲法でもできることだ。


むしろ、片山さつきをリベラルが批判することが、憲法の精神、民主主義の精神を理解していないことの証明になって、義務を明記することの正当性を与えているのである。