公務員の憲法遵守義務

法治から人治へ (内田樹の研究室)
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先日兵庫県のある団体から憲法記念日の講演依頼があった。護憲の立場から安倍政権の進めている改憲運動を論じて欲しいという要請だった。むろん引き受けた。
主催団体はこれまで二度援集会を後援してくれた神戸市と神戸市教育委員会に今回も後援依頼をした。だが、後援は断られた。
後援拒否の理由は「昨今の社会情勢を鑑み、『改憲』『護憲』の政治的主張があり、憲法集会そのものが政治的中立性を損なう可能性がある」ということであった。
この発言はたいへんに重い。
たぶん発令者は気づいていないだろうが、たいへんに重い。
というのは、「改憲」「護憲」についての政治的主張をなすのはどれほど大規模な政治勢力を率いていても「私人」であるが、行政はどれほど小規模な組織であっても「公人」としてふるまうことを義務づけられているからである。
この発言は「公務員の憲法遵守義務」を事実上否定した。
その点で憲政史上大きな意味をもっている。
市長も教育委員も特別職地方公務員である。
憲法99条は公務員が「この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定めている。

はじめこれを読んだときには、また内田先生がトンデモなことを言っていると思った。


ところが「公務員の憲法遵守義務」で検索すると類似した解釈がいっぱい見つかる、そのことにぶったまげた。
公務員の憲法遵守義務


日本国憲法99条にはこうある。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

この「憲法を尊重し擁護する義務」ってのは、普通に読めば「現行憲法に従わなければならない」ってことでしょう。


つまり「ルールを守りましょう」というような話(それと民主的手続きによらないルールの変更を受け入れないということも含まれるだろうが)であって、ルールがある以上、そこに不備があると感じてもルールはルールとして守らなければならないということで、ルールを変更することに抵抗しなければならないという話ではないでしょう。


「現行憲法は良いものなので改正するべきでない」とか「現行憲法には不備があるので改正すべきだ」とかいったことは、憲法を改正する権利をもっているもの、すなわち国民にあるのであって公務員にあるのではなく、公務員はそれに従うべき存在だということでしょう。


なぜ、こんな条文があるのかといえば、それこそ護憲派が常々主張しているように、憲法は国家権力を規制するものだからということになるでしょう。すなわち「私人」だからとか「公人」だからとかいうことではなく「国家権力の一部だから」という話じゃないんですかね?


これってまさに、いくら良い憲法であっても条文を都合良く解釈してしまえば骨抜きになるってことの実例じゃないだろうか。