なぜ共産主義は独裁者を生むのか?

独裁を生む要素は

1.理性崇拝
この世界を支配する絶対的な法則があると確信している。しかし仮にそのようなものがあったとしても、実験などで確認できるものならばともかく、そうでないものを確定させるのは困難。にもかかわらず理性の力で「正しいもの」と「間違ったもの」を見分けることができると信じている。よって自分と異なる意見は「異論」ではなくて「間違ったもの」として糾弾することが容易。


2.一般意志
個人の意志である「特殊意志」の総和の「全体意志」と異なる「一般意志」というものがあると考えている。ところが上と同じく「一般意志」なるものが何であるかを確定させることは困難。にもかかわらずそれがわかるという信念がある。そしてその一般意志「それが本当に人民が望んでいるものだ」という理屈によって人民を支配することが可能となる。


以上のように元から思想的に独裁を生みやすい(共産主義だけではないけど)。


ここからさらに思うこと。


今でも「共産主義が悪いのではない、スターリン毛沢東が悪かったのだ」という話を良く聞くけど、まさにそういう考えが独裁者を生んだのではないかと思う。


「理論を忠実に実行していれば成功した・悪いことは起きなかった」という信念が、実際には上手くいっていないという現実とぶつかったときに、理論が絶対だとすれば原因は実行者の無能・怠慢、あるいは反逆行為として理解されることになる。故に実行者は糾弾される。


よって実行者は責任を追及されたことによって辞任し、あるいは粛清されることとなる。そしてその後継者もまた同様な目に遭う。この連鎖によって善良で誠実で有能な者ほど早く消えていく。この連鎖が止まるのは、自分への責任追及を他者の責任に摩り替えることを平気で行える狡猾な者が登場したときであろう。


独裁者が登場するのは、問題のある人物が指導者になったからということは可能ではあるけれど、それは「理論を忠実に実行すれば上手くいく」という信念と「理論を忠実に実行する完璧超人であれ」という無茶な要求が招いたものではないかと思われ。