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⇒御成敗式目は立憲主義? - Togetterまとめ
たぶん話が噛み合っていない。噛み合っていない主な原因は住友陽文氏の用語の使い方が一般的なものとは大きく異なる独特のものであるため、住友氏が言わんとしていることを理解できていないためであろうと思われる。ただし言わんとしていることを理解すれば言ってることが正当かといえばそうでもないようにも思われるけど。
まず、
小路田泰直さんからご高著『日本憲法史―八百年の伝統と日本国憲法』(かもがわ出版)をご恵贈いただく。日本の立憲主義は明治維新より遙か以前の鎌倉時代から始まる伝統。安倍内閣の立憲主義否定はそれゆえ日本史の伝統の否定という観点からの著作。 pic.twitter.com/3lAfpOLSZR
ここにある「立憲主義」「立憲主義否定」という言葉は、おそらく安倍内閣で安保法の改正および施行に関して反対派が「立憲主義に反する」と主張していることとは意味が異なっている。後者の方は「憲法解釈の変更」が問題視されているが、住友氏が言っているのはそれも含まれるだろうが、それよりも大きな問題を言っていると思われる。それを説明すると超長くなるので、ここではそれだけを指摘しておく。
次に
小路田著「はじめに」。明治憲法は「皇祖皇宗の遺訓」、一天皇でさえ自由に憲法を制定できないもの。現行憲法ももちろん民主主義によっては制定しえない。しかるに96条を改正して国会の過半数で発議できれば、それは憲法が「最高法規」性を喪失し、原理的には法律の座に落ちることを意味すると。
— 住友陽文 (@akisumitomo) 2016年4月21日
ここでは明らかに一般的な認識とは異なることを言っている。明治憲法が民主主義によって制定されたものでないというのはともかく現行憲法もそうだという。ここで「民主主義」という言葉をどういう意味で使っているのかといえば、現行の憲法改正の手続きは1「国会の発議」、2「国民の承認」、3「天皇の公布」という流れになっている。そして現行では「国会の発議は両院の総議員の3分の2以上の賛成によってされる」のを国会の過半数で発議できるようにすることを批判している。現行憲法は「民主主義によっては制定しえない」と書いているのであるから、ここで言う「民主主義」とは「過半数で発議できること」を指していると考えられる。
ここで住友氏が何を批判しているのかは、明治憲法は「皇祖皇宗の遺訓」と書いており、それを肯定的に評価していると考えられるので『法律は過半数の賛成で決めてもいいが、最高法規たる憲法は現在を生きる人々の都合によって軽率に改正されるきものではない』ということではないかと思われる。
で、ここで先の「鎌倉時代から始まる伝統」だけれども、これを中世の「憲法」と近代の「憲法」を混同しているという趣旨の批判(その手の言説と批判はよく目にする)が出てくるんだけれど、住友氏の言わんとしているのはそういうことではないでしょう。何か「例のアレね」って感じでちゃんと読まないで批判してるんじゃないかと思われるものが散見されるんですよね。
ここで言っているのは次の、
時期的には、ちょうどマグナカルタが制定された時期です。慈円の「道理」という言葉は権力を制限しようとする自然法でしょう。その慈円が学んだ延暦寺を信長が焼き打ちにしたのは、そういう中世の「立憲主義」を否定した出来事として示唆的かも? https://t.co/9SqgYKSqgk
— 住友陽文 (@akisumitomo) 2016年4月21日
にあるように「マグナカルタ」を念頭に置いたものであろう。
王といえどコモン・ローの下にあり、古来からの慣習を尊重する義務があり、権限を制限されることが文書で確認されたという意味が大きい。
つまり「王」日本で言えば将軍・執権といえども「古来からの慣習を尊重する義務があり、権限を制限される」ということを言いたかったのだと思われる。そして住友氏が言う「立憲主義」というのもそういう意味であって、先に書いたことと繋げれば『憲法改正は多数決のみで行われてはならない』ということを言いたいのだろうと思われる。
ただ、ここで問題となるのが慈円の「道理」という言葉である。俺はこれについて詳しくないが、詳しく解説したページがあった。
⇒道理「種村 剛(TANEMURA, Takeshi)」
これによれば「道理」とは
物事がそうあるべき筋道、理法や論理、また、人の行うべき正しい道などの総称
しかし、このページの先を見ると「道理」の意味は単純ではない。
作者慈円は歴史における因果関係を「三世因果の道理」、歴史が推移することの必然性を「法爾自然の道理」、この世界が生長衰退することを「劫初劫末の道理」など諸種の根本理法たる「道理」の必然的な展開としてとらえる。
ところが、武家の「道理」とは、
一方、中世社会をささえる慣習的な規範、具体的には中世武家の政治理念を「道理」を中心にして成文化したものが『御成敗式目』である
というものである。こちらには「歴史が推移することの必然性」みたいなものは無さそうだ。慈円がマルクス主義なら、こちらは保守主義と相通じるところがあると思われる。
すなわち一口に「道理」と言っても意味は多様であると思われる。ただし慈円の道理は思想だが、武家の道理は実践されていた。マグナ・カルタに近いのは後者であろう。
ところがここで住友氏は
と言っている。これは理解しがたい。『慈円の「道理」という言葉は自然法』と『統治者といえども慣習法に制限されるという武士の法思想』という二つの異なった「道理」をくっつけてしまった感じがする。
ここが一番のツッコミどころなのではないでしょうか?
なお御成敗式目とマグナカルタの比較だけれど、マグナカルタは歴史の画期ではあるけれど、それ以前には慣習法が無視されていたのがこれを契機として重んじられることになったのではなくて、むしろ慣習法が軽んじられる危惧があったからこそのマグナカルタであろうと思われ、同じく御成敗式目を契機として、そこから日本で慣習法が重んじられることになったというわけではないと思われ。