和を以て貴しとなす(その2)

池田信夫 blog : 「和の心」は日本の伝統ではない


ところで池田信夫氏は小林正弥氏を批判しているけれど、それは小林氏が言うところの「和の心」という考えがあったということを認めた上で、日本史の現実を見ればそうではなかったから「伝統ではない」という形での批判である。


しかし、そももそ一般的に言われるところの「和の精神」というのは

十七条憲法では、第一条と第十条、第十七条にそれぞれ協調の精神が謳われている。そこでは、議論をする事を通して、皆で正しい道理を見つける態度。その背景に「共に凡夫 のみ」という自覚を元にする仏教的な人間観がある。

和の文化 - Wikipedia
という意味であって、そこから

戦後日本は再び『和』の心を取り戻し、平和憲法のもとで、平和主義を貫き、海外の戦争には軍事的に加わらない方針を貫いてきた

なんてことは到底導き出されないのであり、小林氏は非常に独特な解釈をしているといえるであろう。


そして一般的に言われているところの「和の精神」と対立するものは、暴力的に解決するとかいったことではなくて、「和の精神」は話し合いで答えを導き出すから絶対的な基準がないということであろう。


たとえばテロリストが異教徒を1万人殺すと宣言した場合、話し合いで1万人殺すのをやめさせて5000人殺すことに変更させたとする。これを殺したい者と殺させたくない者が話し合いをすることによって、お互いに譲歩して良い結果が得られたといえるかといえば到底言えないわけで、我々は彼らに1人も殺させてはならないのである。というような点での「和の精神」批判があったように記憶している。