夫婦別姓問題に関してあまり論議されていると思われないもの

夫婦別姓問題に関する議論がまたネットで再燃している。その中には、相変わらず「夫婦別姓こそが日本の伝統」みたいな中途半端な知識で論じられているものを多々見かけるのだけれど、そういう俺自身も「氏姓」とか「苗字」についてそれほど詳しいわけでもない。


そこで、俺自身も良くわかっていなくて、ネット上でもあまり論じられているように見えない点について書いてみる。


それは何かというと「姓と公(おおやけ)の関係」。


明治以前には姓(本姓)と名字・苗字の区別があった。たとえば、徳川家康の本姓は「源」であり徳川は「名字」だ。
本姓 - Wikipedia
名字 - Wikipedia


しかし、家康が日常的に「源家康」などと呼ばれていたわけではない。本姓が必要になるのは官位授与や外交などの特殊な機会に限られる。

なお、時代が下るにつれ本姓は、もっぱら朝廷から官位を貰うときなどに使用が限られるようになり、そのような機会を持たない一般の武士は、本姓を意識することは少なくなった。事実幕府の編纂した系図集を見ると、旗本クラスでも本姓不明の家が散見される。一方一般の人であっても朝廷に仕えるときは、源平藤原といった適切な本姓を名乗るものとされた。また、一部の学者等が趣味的、擬古的に名乗ることもあった。したがって本姓の有無は支配階級の象徴として本質的なものではない。

本姓 - Wikipedia

すなわち、本姓は主に「公(おおやけ)」の場で使用されるものであると言えるだろうけれど、その「公」とは「朝廷」のことであると考えられる。それ以外では本姓はあまり必要なものではなかっただろう(とはいえ必要な場合にはすごく重要だったりすると思うが)。



で、一方の「名字」はというと、江戸時代には基本的には苗字帯刀は武士にのみ認められていたとされる。庶民は特例はあるにしても「公的」に名字を禁止されていた。ただし、俺はこの程度の教科書的説明しか知らない。よくよく考えてみるとわからないことがいっぱいある。
苗字帯刀 - Wikipedia


まず、これに法的根拠はあるのかということ。ウィキペディアを見てもそれについて何も書いてない。「帯刀」については秀吉の「刀狩令」を引き継いでいるのだろうと思われるが、名字についてはよくわからない。


で、次に、名字を禁止されていたとは言うけれど、一体どこでの使用を禁止されていたのかということ。というか、これまで禁止されていたと書いてきたけれど、禁止されていたというよりも、たとえば「お上」に対する訴状とか、そういった「公的」な場面で名字を名乗れなかった(あるいは記録されなかった)ということではないのかと密かに思うのだが、どうもよくわからない。それに関連して、ここでの「公(おおやけ)」というのは、将軍及びその機関である幕府、将軍の家来である大名・旗本及びその機関である藩政府のことではないのかということと、それ以外の、たとえば村の会合で名字を使用するとか、寺社との関係で名字を使用するとかも禁止されていたのかということがどうもわからない。

さらに江戸時代の寺院の寄進帳には、その村の全ての農民が名字を記入している例が大半であり、小作人までもが名字を持っていたという文献も数多く残っている。

名字 - Wikipedia

なんてことが書いてあるけれど、これは江戸時代の庶民が名字を持っていたというだけではなく、武士が介在していないところでは使用されていたということをも意味するのではないのか?



次に良くわからないのが、「本姓」は朝廷との関係という公的な性格があるとして、「名字」に公的な性格があるのかという疑問。無論、苗字帯刀は武士の特権であるからして、そういう意味での公的な性格はあるといえるだろうけれど、元々、名字とは本貫地の名前を名乗ったものであって、上から与えられたものではないのであって、(他家の名字を勝手に名乗るとかは別として)何を名乗ろうが自由ではないかと思うのだ。分家が新しい家を興して新しい名字を名乗るとかいうのなら主君の許可がいるだろうし、没落した名族の一派が本家の名字に戻すとかいう場合は家格の関係とかで簡単ではないかもしれないけれど、単に名字を変更しますという場合だったら、その旨報告するだけでいいのではないか?なんてことを思うのだが、もちろん知識は皆無に近いので自信なし…


で、最後に、現在の「姓」を明治以前の「本姓」のようなものだとすれば、通称は昔の「名字」のようなものであって、昔はその通称の方が一般に使用されており、しかも通称は武士の特権で、庶民はそれとは別に屋号などの別の通称を使用する場合もあったということになるんだろう。だから、考えようによっては、「お上」との関係では、法律で定められた姓を使用しなくてはならないとしても、日常生活では通称を使用すればいいではないかということになる。そうなれば、法的な夫婦同姓とか夫婦別姓とか、割とどうでもいいことではないかという考えだってできるだろう。


しかし、問題は、明治以前の庶民と朝廷との直接の関係など皆無と言ってもよく、従って本姓など使用することはほとんどない、というか本姓が何かを忘れてしまっている人だって多かったろうし、庶民と幕府や藩政府との関係も、福祉制度などあったとしても僅かであり、年貢を納めるとか他領との諍いを仲裁してもらうとかいった限られたものに過ぎず、一番重要なのは村落共同体内部での人的関係であったのであり、そこでの人の識別は名字や職業や屋号や地名などがあったにせよ、法的なものではなく、慣例的なものであったろうと思われるが、現在では「お上」が日常生活に介在する度合いは遥かに高まり、それだけでなく私企業などとの関係でも「法的な姓」を使用することが当然のようになっているということなんだと思う。