なんちゃって保守?

俺は夫婦別姓については自分に関係ないしどっちでもいいという立場だということを最初に断っておく。
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経由
「なんちゃって保守」の笑劇


池田信夫氏は高市早苗は「なんちゃって保守」だという。sumita-m氏もそれに同意しているようだ。


だが(高市氏の日頃の主義主張を把握しているわけではないので、彼女が総合的にみて「なんちゃって保守」なのか否かについては判断しかねるが)、この夫婦別姓についての認識に関しては、保守思想的に正しい認識の元に出た主張であると思う。

戸籍上は夫婦親子が同姓であるという現行法を堅持。家族のファミリーネームは残すべきである。ただし、職場等での通称として旧姓使用を希望する届出をした場合には、各行政機関は通称使用の利便性に配慮する努力義務を負う(現在、既にパスポートでは、戸籍名と通称名を併記できる。同様に、免許証や健康保険証など、個人の同一性を示す書類は併記形式とする。社会保険や税務事務でも同様の配慮をする)。

まず言いたいのは、保守は「大きな政府」を嫌うということ。保守は中央集権的な政府の権力を必要最低限のものに抑え、家族や地域共同体などの中間集団の役割を重視する。


そもそも「姓」とは「天皇=国家権力」であった時代の天皇との関係におけるものだ。よって武士の世になって天皇権力が衰退した後にも朝廷から官位が授与される場合などは「姓」を使用して「平信長」とか「源家康」と名乗る。しかし普段は「織田」や「徳川」といった「苗字」を使用する。よく明治以前は夫婦別姓だったという例として「北条政子」が上げられるが、本当は「平政子」だ。


庶民の場合は天皇と関わることなどゼロといってよく「国家権力=天皇」との関係で「姓」を使用する機会が無いので、自分の「姓」が何かを知らない人も多かったに違いない。池田氏は「武士以外は姓も名乗れなかった」というが「姓」ではなく「苗字」のことだ。そして苗字は武家に対する場合に使用できないのであって、それ以外でも使用できなかったというわけではない。


ただし、日常生活で普通に苗字を使用していたかというと、そうでもないだろうと思う。特定の人物を呼ぶ場合の呼称は名前や職業や役職や地名などいろいろあって人と人との関係で同一人物でも様々な呼び方があっただろう。要は特定できればいいのであって法的にこう呼ばなければならないという決まりがあったわけではないと思う。


まとめれば江戸時代において、庶民は天皇との関係では「姓」を使用しなければならないが、その機会はほぼゼロ。武家との関係では「苗字」の使用は不可で「名前」だけを使用しなければならない。それ以外は何と呼ぼうが自由(個人の自由ではなく中間集団の自由)だったろう。


それが「王政復古」で「天皇親政」が復活したことにより、庶民も天皇と直接繋がるという形になった。そこで夫婦別の「姓」を使用することになったわけだが、本来の「姓」は「藤原」とか「源」といったもので数が少ない。それでは何かと不都合なので「苗字」が「姓」として使われることになる。ところが「苗字」は「姓」とは違って庶民は夫婦同苗字を使用する例もあった(といっても苗字自体使用することが稀ではあったはず)。そこで混乱が生じた結果「夫婦同姓」が制度化された。


しかし、これらのことはあくまで「個人対国家」のことである。すなわち「戸籍」は夫婦同姓でなければならない。また国家への申請などは夫婦同姓でなければならない。しかし民間でもその決まりに従わなければならないということではない。


ということはどういうことかといえば、国家権力と個人の直接的な関係が小さければ小さいほど夫婦同姓(あるいは夫婦別姓でもいいけれど)という国家の決まりに従わなければならない機会が減るということになる。江戸時代において天皇と庶民の直接的関わりはゼロであるから夫婦別姓の決まりがあっても事実上無いに等しかったのである。


とすれば、現在においても、たとえば「戸籍は夫婦同姓(あるいは夫婦別姓)でなければならない」という決まりがあったとしても、それ以外は自由だったなら日常生活ではほとんど何の関係もないということになる(それでも嫌だというのが理性主義者というものなのだろうが)。


そういう意味では高市氏の主張は保守思想的におかしなものではないと俺は思う。



だが、現代社会において「公的な氏名」は国家との関係だけで使用されるものではない。対民間企業であっても身分証明書の提示を求められ、そこに記された本名を記さなければならない場合がある。通称が認められないというわけではないかもしれないが、あくまで例外みたいな扱いだろう。


それにはそれなりの理由があって銀行などはマネーロンダリングの防止のためなどという。それも一理あって現代は江戸時代よりも遙かに複雑な社会になっている。そのために「公的な氏名」が過去よりも重要な役割を果たしている。戸籍だけは義務だがあとは自由でよいといっても、それで自由になるかといえばそう簡単でもあるまい。とすれば戸籍上も夫婦別姓を許すべきではないかという考えが革新の側だけではなく保守の側から出ることもまた有り得ると思うのである。