原典を歪曲して伝える人

ところで藤堂高虎が江戸城を設計したというのは本当なのか?
で、
江戸城が風水に基づいて作られた話はガセっぽい?という話 - Togetter
の「雑誌ライター」氏が、原典には「方角その他」とあるところを「風水」と歪曲していることは既に書いた。『江戸城』(村井益男)にもしっかりそう書いてあることを今日確認した。


「方角」には呪術的なものも含まれるだろうが、戦術的なものも含まれるだろう。要は築城術が蓄積してきた知識に通じている者に任せたほうが良いと高虎が言ったのに対して、家康は知識よりも経験を重視して高虎を起用したという話だろう。


で、上のTogetterを見たら、追記があってまた歪曲がある。

四神相応について更に調べると、実は江戸の四神相応説は一旦否定されているんですね。江戸初期の大道寺友山「落穂集」では、「江戸は四神相応だという話があるが」という質問に対して「四神相応は江戸築城の理由の一つだが、もっと重要なのは江戸は交通の要衝で流通の拠点だということだ。家康公の構想は両方兼ね備えたということだ」と述べており、江戸風水説をやんわりと否定しています

『落穂集』に実際に書いてあるのはこれ。
江戸は四神相応の地(と認識されていたか)?(その4)


「江戸は四神相応だという話があるが」ではなくて「江戸は四神相応の勝地だという話があるが」だ。この違いは大きい。なぜなら大道寺友山は江戸は「四神相応の地形に繁昌の勝地を兼備たる場所」だと答えているからだ。すなわち「四神相応の勝地」というのは(「四神相応=勝地」ではなく)「四神相応+勝地」のことだと答えたということだ。


次に大道寺友山は「四神相応は江戸築城の理由の一つだが」などとは全く言っていない。家康が江戸を選んだ理由に四神相応が含まれているかについては、それを記した史料は存在しない。『落穂集』に「四神相応は江戸築城の理由の一つだが」と書いてあるのなら同時代史料ではないけれど肯定派にとってはそれなりに重要な証拠になる。


俺も江戸を選らんだ理由の一つに四神相応がある可能性は大いにあると思っているので、そう書いてあるのならば大喜びだ。しかしそんなことは書いてないのだ。それなのに否定派がそんなこと言ってどうする?そしてそれが何で「江戸風水説をやんわりと否定しています」ということになるのか?自分が何を言っているのかわかっているのか?


無茶苦茶である。