続・藤堂高虎が江戸城を設計したというのは本当なのか?

ところで藤堂高虎が江戸城を設計したというのは本当なのか?
の続き。


元記事が紹介している『江戸城』(村井益男 講談社)に

 もっともこのとき、高虎は江戸城全体の縄張りをしたのではなく、二ノ丸、三ノ丸の縄張りをしただけだったともいう。

とちゃんと書いてあった。


あと
江戸城 – 藤井戦国史

徳川期に、江戸城を近世の城として整備するため、築城の名手である伊勢津藩主藤堂高虎
縄張りを担当するが、高虎が他で行なった縄張りと、江戸城の縄張りを比べるとかなり雰囲気が違う。

江戸城の場合、さまざまな束縛があったらしく、結果的に「高虎流」が強く現れていない。

また、

江戸城藤堂高虎の設計した城だから、石垣も直線の勾配なんだろう」
と思い込んで、それを前提にマンガのネームを切ってたら、実際に見てびっくり。

画像 : 日本最大の近世城郭・江戸城←お濠を走るだけじゃもったいない! - NAVER まとめ


といったものを読むと「それは藤堂高虎が設計したのではないからではないか?」という思いが強くなる。


でも学者の書いたものにも藤堂高虎が縄張したと書いてるのが結構あることも再確認した。ただし、比較的最近の藤堂高虎をテーマにした藤田達生の『江戸時代の設計者』(講談社現代新書 2006年)

江戸時代の設計者 (講談社現代新書)

江戸時代の設計者 (講談社現代新書)

には、関与したとはあるけれど、江戸城築城についてはほとんど触れていない。今後「定説」(定説なのか定かではないが)が変わるかもしれない。