2013-04-14から1日間の記事一覧

ところで藤堂高虎が江戸城を設計したというのは本当なのか?

⇒江戸城が風水に基づいて作られた話はガセっぽい?という話 - Togetter 1603年の第二期工事からは築城の名手といわれた藤堂高虎が設計に加わるが、なんとこの人は、自分が風水をよく知らないので一旦城の設計を辞退しているんだよね 村井益男氏の「江戸…

だめなトンデモ批判

⇒江戸城が風水に基づいて作られた話はガセっぽい?という話 - Togetter これは自然科学でいえば「だめなニセ科学批判」の典型であろうと思うわけです。俺はニセ科学批判批判をしているけれど、それは「正しい批判だけれど正しければいいってもんじゃない」と…

荻生徂徠の「四神相応」論

荻生徂徠(1666-1728)の『詹録』に四神相応の記述がある。 選地トハ城地ノ選様ナリ北条流ニ繁昌ノ勝地防戦堅固守城堅固ト云ウアリ繁昌ノ勝地トハ北高ク南低ク南北長ク東西短ク東西南ニ川ニテモ海ニテモアルヲ云ト伝ヘリ謙信流ニハ四神相応ノ地ヲ繁昌ノ勝地ト…

弘前城と四神相応と北条流軍学

高岡城築城に際し、軍配者沼田面松斎は長勝寺構、高岡、亀ヶ岡の三候補から占術で高岡を選んだ。他の候補地は衰亡を予感させたと云う。慶長十五年三月、高岡城築城開始。慶長十六年五月、高岡城完成。面松斎は慶長十七年に没したが、生前は高岡を四神相応の…

山鹿流軍学と四神相応と赤穂城

1653(承応2)年、32歳の時、8月、江戸を出て、9月、赤穂着。この年、築城縄張りを行う。「山鹿素行先生日記」によれば、「大守縄張二廓虎口、招僕談之、大守自臨其地、…僕取間縄改直之」とある。「武教全書」(山鹿流兵学の教科書)によれば、概要…