古文書の解読(その2)

「仍三州之儀、駿州無(被)相談」を「三州(松平広忠)」が「駿州(今川義元)」に相談無く(または相談して)と読めるんじゃないかと書いたけれど、古文のド素人ゆえ、そもそもこれが文法的にそう読めるのかすらわからない。


そして、これには大きな問題があることは承知している。もし広忠が義元に相談しなかった(または相談した)という話だったら、次の

去年向彼国之起軍、安城者要害則時ニ被破破之由候、毎度御戦功、奇特候

が意味不明になってしまうからだ。


ただし、それは今の解釈だと意味不明になってしまうということで、違う解釈をしたら話が変わってくるかもしれない。


で、疑問(その2)「去年向彼国之起軍」とはどういう意味か?「去年」が「前年」のことか「過去」のことかはこの際問題にしない。「向彼国之起軍」が問題となる。記事では「彼国に向けこの軍を起こし」と訳されている。「歴探」でも「あの国に向けて軍を進め」と訳しているので、これが一般的な解釈なのだろう。
歴探 » 北条氏康、織田弾正忠の軍功を確認し今川氏との関係を伝える


「彼国」が三河なのは疑いない。三河に向かうのだから松平広忠のわけがない。織田信秀三河に向かったに決まっている。「向彼国之起軍」を「(信秀が)軍を起こし」あるいは「軍を進め」と訳されているけれど、この場合は「向彼国」(彼の国に向かい)「之起軍」(軍を起こす、軍を進める)ということなんだろう。


だけど『「彼国之起軍」に向かい』と訳すことは不可能なのだろうか?「彼国之起軍」とは「三河国内で起きた軍(いくさ)」のこと、すなわち広忠に反旗を翻した勢力のことであり、それを制圧するために向かった。つまり「三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍」とは、「三州(広忠)が駿州(義元)に相談して(または相談なく)去年彼国(三河)の起軍(反逆者)に向かった」と訳すことは不可能なのだろうか?